ふたりの出会い部門

更新日:2021年12月15日

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ふたりの出会い部門

最優秀賞

ありがとうに導かれて

妻30歳(筆者) 夫30歳 子1歳

夫と出会ったのは高3の春。クラスの席順が前後で私が前、夫が後ろ。プリントを後ろに渡す時に夫は必ずと言っていいほど私に「ありがとう」と言ってくれました。今まで別の人にプリントを渡す時に「ありがとう」なんて言われたことなかったから何か気になりだして。時間がたつにつれ私が好きになって付き合い始めました。「ありがとう」の言葉に魅かれて。

結婚するまでに別れたり付き合ったりしたけど結婚するまでの10年間、夫は私のことをずっと好きでいてくれたこと。プロポーズしてくれたこと。決心できました。この人と家族になろうと。今では子どもも生まれ幸せです。でもたまにけんかもします。それでも幸せです。「ありがとう」の言葉があるから。これからも子どもと3人で「ありがとう」の気持ちを大切にしていきたいと思います。

優秀賞

技あり!プロポーズできる券

妻30歳(筆者) 夫30歳 子1歳

夫とは大学のテニスサークルで出会い、3回生のときから付き合うようになりました。就職してからはお互い忙しく、平日はメールの1通も送らない、週末に予定が合えば遊ぶ…という生活を繰り返していました。それが程よい距離感で楽でした。

しかし私が25歳になったとき、「このままダラダラ付き合っていて、もし別れたら私の良い時期みんな持ってかれる!」と危機感を抱き、夫の誕生日に仕掛けることにしました。その年の誕生日プレゼントはお財布にしました。中のカード入れに3つカードを入れました。

  1. マッサージ券
  2. 手料理食べられる券
  3. プロポーズできる券(有効期限1年間)

夫はそのとき少し酔っぱらっていましたが、3.のカードを見てすぐに酔いが覚めたそうです。それから約半年後、付き合い始めた記念日にプロポーズしてくれました。してやったり。今は子どもも産まれ3人でわいわい楽しく過ごしています。

優秀賞

愛を紡いだ2枚のラブレター

妻31歳(筆者) 夫31歳 子2歳・0歳

小学校入学式。記憶はほとんどありませんが、クラスメートに小柄な男の子がいました。少しずつ仲良くなり高学年になると一緒に遊ぶようになり、ラブレターをもらいました。内容はあまり覚えていませんが、私は「友達として好き」というよくある返事をしました。

そして、二十歳になり成人式で再会。当時の雰囲気は残っていましたが、「大人になったなぁ」と思っていました。その5年後に同窓会で再会。そこで仲良くなり27歳の時、2度目の告白。あの小柄な男の子が結婚相手になりました。プロポーズはもちろんラブレター。

結婚してまだ5年ですが、出会いからは25年。運命の赤い糸がこんなにも昔からこんなに近くでつながっていたとは思いもしませんでした。けんかした時は2度目のラブレターを読むとクスッと笑えて仲直りできます。もうすぐ2歳になる息子と息子に負けないほど素直な夫は私の大切な宝物です。神様ありがとう。

審査員賞

一途な思いが行動に

妻45歳(筆者) 夫45歳 子17歳・14歳

20年以上前、バイト帰りの電車内で「よう子ちゃん~!」と声をかけてきたのはスキーツアーで一緒だった男性。それから数週間後、私が降りる駅でたまたま乗り合わせて声をかけてきた男性。どちらも今の夫です。偶然を装い私に声をかけるために、何時間も前から待っていてくれたということを結婚してから初めて知りました。

携帯もLINEもない時代。大体の時間を考えて寒い日、ずっと待っていてくれた彼。寒い日は自分のマフラーをはずして私にかけてくれました。そんなやさしさがとてもうれしかった。その秘密を知ってからより一層愛情が芽生えました。

結婚後、けんかをしても冷静に考え、出会ったころのことを思い出すようにしています。するとだんだん怒りも収まっていくから不思議です。彼の私への純粋で一途な思いが現在の結婚生活を円満にしてくれている秘訣になっているのかもしれません。

佳作

介護から愛を育み60年

妻85歳(筆者) 夫89歳

「困ってる事あんねん」。少し前から付き合っていた夫が言いました。「何?」「風呂やねん」。生まれた時に母を亡くし、終戦時に父も亡くしていた夫は、育ててくれた祖母と二人暮らし。足腰の弱ってきた祖母を家で行水させていたという。ところが寒くなってきてそれもできず、思案していたとのこと。

それから夫が祖母をおぶって銭湯まで、引き継いだ私が入浴介助、夫がおぶって帰るを何度も繰り返しました。そのうち、入浴後、家まで帰るのがおっくうになり、「ま、いいか」。心配した母の勧めで、翌年2月に式を挙げ、4月に寝付いていた祖母を見送りました。

あれから60年、仕事、家、私の両親の事など、いろいろありましたが、夫と一緒の人生を送れた事を何よりと思っています。その夫が7年前に神経難病を発症、入退院を繰り返しています。今も点滴漬けの毎日ですが、「パパさん、がんばってね」。

嫌いが好きに 歌が結んだ愛

妻49歳(筆者) 夫50歳

出会いは小さな田舎町。保育園・小学校・中学校は町内に1か所しかありません。1歳違いですが、物心ついたときには、お互いのことを知っていたと思います。高校も家から一番近くの学校に進学し、なんと、卒業後も同じ会社に就職していました。ただ、お互いに恋愛感情なんて全くありませんし、それどころか私はなぜか彼のことが嫌いでした。

そんな二人が急接近したのは、私が仕事で失敗をしたときのこと。急ぎの荷物を発送するのを忘れて、パニックになっていた私に「運送会社に持ち込めばまだ間に合う!」と商品を準備して大雨の中、車で一緒に行ってくれたのが彼でした。助手席に座るのは苦痛でしたが、仕方ありません。そんな時、ラジオから流れてきた曲に、「あっ!俺の好きな歌」「あっ!私の好きな歌」と二人同時に声をあげていました。いつしか嫌いは好きに変わり、二人は人生を共に歩み始めることになりました。

素敵な人と巡り合えて

妻35歳(筆者) 夫35歳 子5歳(双子)・3歳

あなたと出会って、私は自分の居場所を見つけました。あなたは、毎日たくさんの笑顔をくれました。仕事でうまくいかない時、あなたの前だから素直に泣けました。おなかにふたつの命があることを知った時、「ラッキーやん」と一言背中を押してくれました。

あなたと一緒にいる自分が、一番好きだと思えるようになりました。世界で一番の理解者が一番近くにいる安らぎを知りました。結婚しようと言ってくれたその日から、私はたくさんの幸せに包まれています。これからも支えるから、ずっと守っていてください。

猛アタック大成功

夫30歳(筆者) 妻38歳 子3歳・0歳

バイト先の店長の友達に人生初の一目ぼれ。自分探しの海外旅行前にチャンスは突然やってきました。バイト先の送別会に彼女がまさかの飛び入り参加。旅立つ前に一緒にお酒を飲めるとは。高鳴る鼓動と裏腹に彼女からこんな質問が。「好きな子いないの?」「あなたです」と言いたい気持ちをぐっとこらえ「います」。「えー!告白したら?海外いっちゃうんでしょ?言ったらなにか変わるかもよ。私なら告白するな。言っちゃえいっちゃえー」。まさかの本人からの後押し。

よーし。当たって砕けろ!と、メール攻撃。「好きです。海外から帰ってくるまで待っていてください」。今までの僕はこんなことできなかったけれど、彼女だからできました。運命の出会いってあるんだな。あれから9年、今、僕のそばには彼女と息子二人がいます。

ふたりは再婚

妻52歳(筆者) 夫55歳 子16歳・14歳

我が家は、夫婦と子どもふたりの4人家族。子どもの年齢の割には、親の歳はちょっぴり高齢。というのも、夫婦揃って再婚だから。子どもを授かったときには夫婦して、いや、その両親も共に喜びました。夫の両親にとっては、待望の初孫。祖父母にとっても歳の離れた孫たち。それでも共働きの家庭ゆえ、子どもの体調不良の時には、遠方から早朝に駆けつけて面倒を見てくれました。入院騒ぎのときには、病院にも。

ある時、何かの拍子に、父親が再婚だと知った子どもたち。意外にも、まだ幼かったせいか「へぇ~」という驚きと笑いで受け入れていました。子どもたちにとっては、そんなことは些細なことなのかも知れない。成長した今、改めて問うと、どんな反応を示すだろう。でも、いまだに秘密がひとつあります。実は、母親も再婚者だということ。再婚も捨てたもんじゃない。お互い失敗を経験しているからこそ、やさしくなれることもあります。

車中での会話

夫29歳(筆者) 妻23歳

僕はスキー、あなたはスノボ。滑るペースも違う。だけど、同じ雪を思い切り楽しんだ、そんな日帰りスキーの帰りのツアーバス。夕方から雪が強くなり、「滑り終わってから降ってきて良かったね」なんて話をしてたのかな。

バスが動かない。雪のせいで大渋滞。僕たちは他愛のない話をしたり、目を閉じて少し休んでみたり。1時間、2時間。ときおり少し進んではすぐ停まる。窓から見える景色がちっとも変わらない。もちろん不安。仕方がないこととはいえ、疲れもあるし、イライラもする。それは隣のあなたも同じはず。午後11時には大阪駅に着くはずが、結局午前4時に。車中、長い時間、笑顔も、疲れも、不安も、イライラも、あなたと共有できたこと。あなたとなら一緒にいて大丈夫。きっと僕はそう感じたんだ。

祖父の前でプロポーズ

妻30歳(筆者) 夫32歳 祖父89歳

夫と出会ったのは共通の友達を通じて、というありきたりな出会いでしたが、結婚するきっかけがとても思い出深いものでした。付き合って6年、結婚するタイミングがつかめず、お互いの中ではぼちぼち決めていけば、という雰囲気でした。

その頃に群馬に住む夫の祖父に癌が見つかりました。既に末期で、夫の両親は毎週群馬に通っていたので、私達はなおさら結婚の話ができるようではなかったのです。

そしてついに、祖父の寿命も持って数週間という時、突然夫が私に群馬に来て欲しいと話しました。結婚相手として祖父に会わせたいと。真面目な夫は、プロポーズもまだなのにと戸惑ってもいましたが、私は祖父に会いに行きました。夫から結婚相手だと紹介されて、初めてお互いの中で結婚の意志が固まりました。その2週間後に祖父は他界し、式に呼ぶことはできなかったけど、私は祖父が結婚へ向けて背中を押してくれたと思っています。

猿に会いたくて

妻31歳(筆者) 夫30歳

「猿に会える学校です」―この高校紹介文が私の運命を決めるとは思ってもみませんでした。当時中学3年生だった私は、猿に会える山の上の学校おもしろそう!という単純な発想から茨木市の隣接市の高校を受験し、通うことになりました。茨木市から隣接市の山の上までは自転車で40分以上の道のりだったが、長い苦痛な通学時間が素敵な時間に変わることが起こりました。

高校2年生の時に彼氏ができました。私の通っていた高校は、茨木市から通っている生徒が少なく、同じ茨木市出身ということで意気投合し、付き合うようになりました。長い通学時間は彼と一緒にいると楽しく、帰り道はさらに長い時間になり、そして9年という年月を経て、結婚しました。私はとうとう高校で1度も猿に出会うことはできませんでしたが、素敵な夫と出会うことができました。

街コンで運命の出会い

妻28歳(筆者) 夫28歳 子2歳

4年前の冬。あの日、茨木市で開催された茨コン(街コン)に参加していなければ今の私はなかっただろう。友人に誘われるがまま、私は街コンというものに初めて参加する事になりました。良い出会いに期待!と言うよりも、馴染みの地元である茨木に若者がたくさん集まるってどんな様子なんだろうという気持ちで参加していたし、『運命の出会い』なんて想像もしていなかった。茨コンがスタートし、のんびり歩きながら、お店に入り、少しお酒を飲みながら、出会った人達と他愛もない会話をしました。

あっと言う間に終了間際の時間。その時私の前に現れた彼。茨コンは終了時間になりましたが、少しだけ一緒に飲みに行く事に。彼の終電の時間まで1時間しかありませんでしたが、彼のとなりは居心地がとても良かった。そう。彼こそが私の夫です。彼と結婚し長男が生まれ今は3人家族。『運命の出会い』をした私達に、来年夏、もう1人宝物が誕生します。

15年ぶりの再会

妻40歳(筆者) 夫42歳

夫と最初に出会ったのは私が高校2年、彼が大学1年の時でした。通っていた塾から大学に合格しそのままチューターとしてバイトしていた彼に、化学の問題を質問し丁寧にわかりやすく教えてもらいました。その後彼のおかげもあって同じ大学に合格しましたが学部が違ったため大学では2、3回しか会わず、同じくチューターとして働いていた塾でもそんなに話すことなく過ぎていきました。それから私は茨木市内の病院へ、彼はそのまま二人が通っていた塾に就職し会うことなく約15年が経過。

風の便りで彼が独立して塾をはじめたと聞き、私は彼に連絡し会うことになりました。昔の塾の話や大学の話、現状報告など会うと懐かしく話がとまらず何度か食事するうちに付き合うこととなり、ちょうど再会して1年後に入籍。この茨木で育ち、学び、働き、そして彼に会えたこと、再会できたことすべてに感謝する毎日を、夫の塾を手伝いながら過ごしています。

結婚後、縁の深さを実感

夫44歳(筆者) 妻40歳 子2歳

結婚相手を探すサイトがあり、そこで出会いました。その頃仕事が本当に忙しく正直冷やかし半分、ものは試し、と私は思っていました。後で聞いたら妻も同じ感じだったそうです。

それから半年の交際を経て現在結婚3年。誕生日も同じ1月、血液型も同じB型、良く衝突しこんな人とは絶対結婚はありえないと思っていましたが、現在2歳のやんちゃ坊主と3人で仲良く暮らしています!結婚後の妻は付き合っていた時と正反対で、よく気が付き、似ているものがあると分かるんだなぁと感じる事が多々あります。出会いの形は本当に人それぞれあると思いますが、縁というものが確かに存在すると思います。

連絡をくれた夫に感謝

妻33歳(筆者) 夫34歳 子4歳

夫は大学の先輩です。といっても、出会ったのは卒業後、友人の紹介で知り合いました。第一印象は悪くなく、でもそんなにときめいた訳でもなかったのですが、夫がアプローチしてくれ付き合うことになりました。

平日は仕事、週末に吹田市から神戸に会いに行くというスタイルが続きましたが、その頃私は仕事が楽しく、そして忙しく、週末に会いに行くのがだんだん億劫になり、私の方から別れを告げてしまいました。その後携帯の連絡先は削除してしまっていたのですが、約1年経過した頃、不意にSNSをのぞくと、メールがきていました。少し仕事に余裕の出てきた私はもう一度夫に会うことにしました。

再会し、彼のことをじっくり見つめると、話しやすく一緒にいるとホッとする自分を感じました。それから結婚まではとんとん拍子で進みました。私のことを心に留めてくれ、勇気を出して連絡をくれた夫に感謝しています。

運命の人にビビビッ

妻24歳(筆者) 夫30歳

クリスマスがそこまで来ているある日、ホテルのロビーで電撃が走りました。エレベーターから降り、顔を上げた時でした。エレベーターからいちばん遠い喫茶店前に彼はいました。そう、今まで体験したことが無いような衝撃。それは、一瞬時が止まり、私の目のカメラが猛スピードで彼の顔をズームアップしたという感じ。松田聖子さんが報道陣に結婚の時に言っていた、「ビビビッと来た!」と同じだと思いました。

会ったその日は喫茶店で少し話しました。運命の人なんてないと思っていた私は、先程の衝撃は忘れかけていた。何度かデートして、彼といると自分のままでいられると思うようになりました。やがて私達は結婚し、現在3人の子どもに恵まれて、幸せに暮らしています。ビビビッと来た人と結ばれて良かったと今は思っています。

あなたに会えてよかった

夫42歳(筆者) 妻48歳

「♪~あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま~」。当時はやった曲はまさに自分達そのものでした。26年前、1990年4月2日、花の万博でウォーターライドが落下した日、それを横目に、高校生の僕が初日のバイト先へ向かいました。そこで社員だった彼女に一目惚れしました。「彼女と結婚するんだ」と、その瞬間思いました。あとで聞くと年の差6歳。でも、そんなことは気にもしませんでした。この人と一生一緒だと楽しいだろうなぁ。うれしいだろうなぁ。苦労も乗り越えられるだろう。そんなゴールを夢見て、必死に生きました。

年の差が一番の周りの反対でした。当時はまだ、女性のほうが年齢が上というのはあまりありませんでした。自分達の考えや生き様で「理解」に変えるのに、10年の時間がかかりました。「まだ結婚せえへんのか」と親に言わせた時に、ようやく自分達2人の人生が始まったように思えました。26年前、あの時、あなたに会えてよかった。

厳しい言葉をきっかけに

妻37歳(筆者) 夫43歳 子11歳・7歳

夫と出会ってから20年。既に人生の半分以上を一緒に過ごしています。出会いのきっかけは、18歳の時。当時看護学生だった私は夏休みに実家の岩手県に帰省し、母が働くゴルフ場でバイトをしていました。その時、指導係をしてくれたのが今の夫です。

キャディの研修中、指導係の夫から毎日のように怒られました。不思議なもので慣れてくると、厳しい言葉も「がんばれ」「大丈夫か」と聞こえてくるようになりました。1か月のバイトが終わり、岩手県を離れるとき、夫と別れるのがつらくなり、付き合うことになりました。出会いから20年、今も怖い夫ですが、当時のバイト時代を思えば結婚生活は平和です。

夢を築いた地に恩返し

妻38歳(筆者) 夫45歳

「地味でパッとしない」そんな茨木が嫌いでした。ずっと昔から、早く出たいと思っていました。私は28歳の時に茨木で結婚し夫婦で居酒屋を開業。お客様には可愛がっていただきましたが、家業は重労働で精神的にも過酷な年月が10年続きました。それでも10周年の時は嬉しくて未来の夢がいっぱいありました。夫ともやっと本当の絆が生まれた頃、突然、帰らぬ人となりました。

平常心を装っていましたが、本当は茨木にいるのが辛かった。茨木を出て誰も知らない町に消えませんでした。でも改めて気づきました。友達、学校生活、バイト、失恋、結婚、お店、お客様、スタッフ「私の人生って茨木にお世話になりっぱなしやんか~!」その瞬間、私は「よーし!茨木に恩返しするぞ~!」とヤル気スイッチが入りました。これからは沢山の方々に「茨木」を知っていただき、そして好きになっていただきたい。3歳の頃から茨木に越してきので、もう40年を過ぎた(笑)。あと60年は過ごすと決めました!

審査員長 小崎恭弘さん 講評

約9割の未婚男女がいつかは結婚したいと望む一方、生涯未婚率は年々高くなっています、「いい人にめぐりあえない」「結婚すると自由がなくなる」などの理由から、ますます相手を理想化し、結婚まで至らないケースが多くあるようです。

今回の作品集には、出会い、子育てをありのままに描き、多面的な魅力が伝わるエピソードを集めました。いいこともあれば、つらいこともある、その中で成長し、喜び合えるのが結婚、子育ての醍醐味。一人でも多く未来を踏み出すきっかけをつかんでほしいです。