松下眞一展示コーナーを設置
更新日:2024年03月11日
「茨木讃歌」の作曲者であり、理学博士、数学者として国内外で活躍した松下眞一氏が遺した資料や楽譜などを展示するコーナーを、生涯学習センターきらめき 1階 情報コーナーに3月9日よりオープンしました。
松下 眞一
略 歴
別名 / 倉田鵜佑、九羅十輔
1922年
大正11年10月1日 大阪府三島郡茨木町大字茨木(現 茨木市大手町)に生まれる
昭和10年 茨木尋常小学校(現 茨木小学校) 卒業/旧制茨木中学校(現 大阪府立茨木高等学校)入学
幼少より父 松下久一に作曲を、後に中村良治 永井巴 朝比奈隆諸氏にピアノ・和声・作曲・指揮を学ぶ
同中学2年(13歳)の時初めてSymphonyを書く
オーケストラとフルートのための<セレナード>作曲(1968年初演)
同中学高学年で無調・12音技法の傾向現れる
1940年(18歳)
旧制茨木中学校卒業
1943年(21歳)
旧制第三高等学校(現 京都大学)卒業 在学中芸術学部委員長 文芸雑誌の編輯 京大オーケストラに客演
1947年(25歳)
九州帝国大学理学部卒業 学士号授与(9月) 文部省特別研究生となり大学院に残る
子供のための三つの歌 音楽芸術賞入選
1949年(27歳)
大阪市立大学理学部助手(位相調和解析・ポテンシャル論)
1950年(28歳)
大阪府立春日丘高等学校 数学教諭(~1953年3月)
1952年(30歳)
論文発表On topological groups(Journal of the Institute of Polytechnics, Osaka
City University)
1956年(34歳)
管弦楽のための<トッカータとフーガ> 第25回日本音楽コンクール第3位入賞
1958年(36歳)
3群のための<相関> 第1回ローマ国際作曲コンクール入選 音楽之友社出版賞 フランス大使賞
8人の奏者のための<室内コンポジション> 現代音楽祭作曲コンクール第1位入賞/グループ<えらん>結成
1959年(37歳)
理学博士(大阪大学) 論文 掃散理論の基礎について
1961年(39歳)
ピアノと打楽器のための<カンツォーナ・ダ・ソナーレ 第1番> ISCM第35回ウィーン世界音楽祭入選
1962年(40歳)
管弦楽のための交響曲 第3番<次元 交響的祈り>(NHK委嘱) 第1回クリティッククラブ賞受賞
室内管弦楽のための<継起> 第2回ローマ国際作曲コンクール入選
1963年(41歳)
国際現代音楽祭「大阪の秋」を創立し中心的役割をする 常任委員(~1974年)
交響曲第4番<生> ドイツ大使賞
1964年(42歳)
E. Pascual Jordanに請われ、ハンブルク大学客員教授及び国立理論物理学研究所共同研究員
大阪市立大学理学部数学科助教授
1965年(43歳)
7楽器のための壁画<フレスク・ソノール> ザグレブビエンナーレ 初演・招待(5月)
同作品でマドリッド世界音楽祭入選・招待 ISCM国際委員日本代表(6月)
<Das Zeichen ダス ツァイヘン> ドイツ大使賞
1966年(44歳)
大阪芸術賞受賞 分野:作曲
1967年(45歳)
エルランゲン大学特別講師/ハンブルク大学理論物理学研究所客員教授
1968年(46歳)
スウェーデン国立放送電子スタジオより招聘 世界初のGaborsystemの共同研究員として参加
1969年(47歳)
詩と音楽<心臓にて>(MBS委嘱) 芸術祭奨励賞
日本万国博覧会 Expo'70委員 1966年以降関係者として企画に参与
1971年(49歳)
大阪市立大学退職
1972年(50歳)
大阪芸術大学音楽部創立委員
1974年(52歳)
管弦楽と合唱とソリスト群のための<交響曲第6番 シンフォニア・サンガ> 芸術祭優秀賞
交響幻想曲<淀川>朝比奈隆指揮 京都市交響楽団で初演
1977年(55歳)
カンタータ<ブッダ>第3番 芸術祭優秀賞/無伴奏チェロのための<道標> 共同で芸術祭大賞
1978年(56歳)
茨木市制施行30周年記念<讃歌>作曲
1980年(58歳)
ハンブルク国立理論物理学研究所退職 その後自由なる研究者・創作家・作曲家・文筆家として生きる
1982年(60歳)
管弦楽のための<交響曲第7番・オーケストラのための新しい歌 ー 詩篇98の1による>
1990年(68歳)
『野いばらの会』文芸誌「野いばら」第1号発刊
平成2年12月25日 茨木市中村町にて死去