平成30年度の発掘調査

更新日:2021年12月15日

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中条小学校遺跡

調査地について

中条小学校遺跡は茨木市の南西部、千里丘陵の東に広がる沖積扇状地上に位置しています。東西約570m・南北約1,100mの範囲に広がっています。更に南側に茨木市を代表する東奈良遺跡が接し、西側に松ケ本南遺跡、松ケ本北遺跡、北側に駅前遺跡、東側に新庄遺跡・茨木遺跡が存在します。

 

今回の調査では共同住宅の建設に伴って、平成31年2月~3月にかけて遺跡の南西で実施しました。周辺では弥生時代(今から約2,000年前)の方形周溝墓などが見つかっています。

調査の概要

調査では、現在の地表から0.7~0.75mで弥生時代中期(約2,000年前)から鎌倉時代(約800年前)にかけての遺構を検出しました。

その内、特筆すべきものとして、弥生時代中期の方形周溝墓1基、古墳時代の溝(約1,500年前)、奈良時代(約1,300年前)の掘立柱建物跡3棟、平安時代末~鎌倉時代頃の掘立柱建物跡3棟があげられます。

方形周溝墓は周囲に溝を巡らせて方形に区画し、区画の内側に墓穴を掘って人を葬る形式のお墓です。墓穴は後に削られたようで見つけることはできませんでしたが、周囲の溝は一辺12.5mを測る四角形と考えられます。溝の中からはわずかながら弥生土器が出土しています。

古墳時代の溝は、東側が浅く、西側が深くなっていきます。おそらく、西側に位置する流路に注ぐ谷地形の一部と考えられ、溝の底から古墳時代(今から約1,500年前)の土器が多く出土しています。

奈良時代の掘立柱建物跡は、一辺0.6m程度の方形の柱穴で構成されます。3棟復元できましたが、建物1と建物2は重なっているため、建て替えられたと考えられます。建物3は東西方向に長い建物で調査区東側に続きます。他に調査区西端で1つだけ離れた位置で、同様の柱穴が見つかったため、調査区外にも建物が存在する可能性があります。
また、硯の破片と平瓦の破片がそれぞれ1点ずつ出土しています。このことは大変重要で、近くに文字を書くことのできる人がいたこと、瓦を葺く建物が存在したことを示しています。文字が使用されたり、瓦を葺く寺院や役所などが近くにあった可能性があります。

平安時代末~鎌倉時代の掘立柱建物は、直径0.2m程度の円形の柱穴で構成されます。3棟復元することができます。建物4は調査区北西側で復元した南北方向に長い建物です。建物5は調査区南東部で復元しました。南側は調査区外に続きます。建物6は建物5の北側で復元しましたが、確認した柱穴が3基だけであるため、確実ではありません。建物4以外の柱穴はいずれも深く70cmに達するものも存在します。そのため、建物が建てられた地面は後世にあまり削られていないと考えられます。

まとめ

今回の調査では、数多くの遺構を確認することができました。弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代の各時期の遺構を確認することができたことから、長期間に渡って活動の場であったことが分かります。

 

弥生時代の方形周溝墓からは隣接する東奈良遺跡の墓域が調査地にまで広がっていたことがわかりました。古墳時代の溝は、西側に存在する流路に続くと考えられ、当時の景観を復元することができます。奈良時代と平安時代の建物跡は、この時期の集落の広がりを考える上で重要な成果といえます。

 

中条小学校遺跡全景1

奈良時代と平安時代から鎌倉時代の建物跡が見つかりました。当時の人たちはこの場所でどのような暮らしをしていたのでしょうか。

 

 

中条小学校遺跡方形周溝墓

四角く掘られた溝跡が見つかりました。弥生時代(2000年前)のお墓「方形周溝墓」の痕跡です。

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