紙本著色中川清秀像

更新日:2026年10月23日

ページID: 70144

しほんちゃくしょくなかがわきよひでぞう

紙本著色 中川清秀像

本図の像主である中川清秀(通称は瀬兵衛、1542~83)は現在の茨木市(摂津国福井村中河原)に生まれたとされる戦国武将で、摂津茨木城主でした。天正11年(1583年)4月20日、賤ケ岳の合戦で柴田勝家方の佐久間盛政の攻撃を受け戦死し、梅林寺に葬られたとされます。本図は、上部に清秀の法号、『仏説観無量寿経』の一節を記し、没年である天正11年の年紀を有します。

本像は、右手に扇を持し、左腰に脇差、肩衣袴を着し上畳に坐しています。両肩には、「抱き柏」をデフォルメして丸を重ねて連ねたような形に描く「中川柏」と呼ばれる中川家の定紋が表されます。肩先に襞をとらない肩衣は古様であり、土佐派資料中の粉本などに類例があります。とくに顔貌の表現について優れた描写力が示され、眼は濃墨と淡墨を使い分け、髪や髭、眉、皺の一本まで細線を用いて緻密に表現しています。口元から二本前歯が覗くのも、清秀の特徴であったとみられ、本図は精細にその個性を伝える戦国期肖像画の優品です。