中川清秀制札
更新日:2026年10月23日
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なかがわきよひでせいさつ

本制札は、天正10年(1582年)の山崎の合戦後、織田信長の後継をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が対立する政情不安定な時期に、中川清秀が天石門別神社に宛てて発給した禁制で茨木神社に伝来したものです。同時期に発給された清秀の禁制として箕面寺に宛てたものが知られます。本制札には、境内の竹木の無断伐採や、参詣人や諸人による狼藉を禁じ、これに違反した者は厳罰に処することを清秀が保証する内容が記されています。
本制札の現状は駒形板です。背面の上下2か所にほぞを造り出し、これに横木をはめ込む構造を有しています。横木中央には穴が穿たれており、制札を立てるための軸木を挿入できるようになっています。このような形状などから本制札は屋外に掲示されていたと考えられます。
本制札は、市域にゆかりのある清秀の発給文書であり、本能寺の変後における地域支配の実態を具体的に示す史料として大変貴重です。

