中川清秀宛羽柴秀吉書状

更新日:2026年10月23日

ページID: 70145

なかがわきよひであてはしばひでよししょじょう

中川清秀宛羽柴秀吉書状

本書状は、中川清秀が中国攻めのため備中高松に在陣していた羽柴秀吉に対し、本能寺の変の発生を伝えた書状に対する6月5日付の返書であり、清秀の菩提寺である梅林寺に伝来したものです。その内容によれば、秀吉は、京都からの使者の報告として織田信長・信忠が明智光秀の襲撃を逃れ、近江の膳所へ退いたとする情報を清秀に伝えています。また、福富秀勝に三度にわたる顕著な働きがあったこと、自らも帰城を進めていることを述べ、清秀に対しても油断なく行動するよう指示しています。信長・信忠が無事であるとの情報をあえて清秀に伝えることで、味方勢力としての行動を促そうとしたものとみられます。

さらに、秀吉は備中国境に近い備前野殿まで討ち入り、そこから東方の沼まで進軍する旨を記しており、本能寺の変後における秀吉軍の迅速な軍事行動を示す内容ともなっています。書状の日付から、本能寺の変直後に清秀が秀吉へ情報を伝達し、それに対して秀吉が即座に返書を発した状況を知ることができます。このように、本書状は本能寺の変直後の情勢を具体的に伝える織豊期文書として大変貴重です。