見山「史跡十選」

下音羽のかくれキリシタン遺跡(下音羽)

下音羽のかくれキリシタン遺跡

厨子入りの象牙彫りキリスト磔刑像は、下音羽で発見されました。
その昔、秀吉、家康のキリシタン禁教令により、信者は地下に潜り、鳴りをしずめて密かに信仰生活に入りました。遠くヨーロッパ渡来のこの像を本尊として一連の数珠(ロザリオ)を用いて拝んでいました。
この像は、大阪府の重要文化財に指定されています。

下音羽かくれキリシタン墓碑(下音羽)

下音羽かくれキリシタン墓碑

曹洞宗高雲寺境内に、キリシタン墓碑が大小二基あります。様式蒲鉾型で、両方とも表面上部に等辺ギリシャ十字章が刻まれ、大一基に「ぜにはらまるた」慶弔十五年(1610年)十月十一日の刻印があり、小基は人名不明ですが慶弔十八年月日の刻印があります。

上音羽の磨崖仏(上音羽)

上音羽の磨崖仏

能勢妙見街道沿いの上音羽地区の幅6メートルの自然石に、約三十体20センチメートル大の地蔵菩薩像が彫られ、その中央上段部には放線光背の二体の阿弥陀如来像が彫られています。上段に甲戌(きのえいぬ)天正二年十一月十五日(1574年)と記されていますが、これらは正しく逆修仏と考えられます。
逆修仏とは、幼い者、若い者が先に死亡して、その者の冥福を祈って仏を刻んだものと、自分が生前に戒名を頂き、仏事を修して極楽往生を願って刻む場合と二通り考えられます。

絶海国師隠棲の地(銭原)

絶海国師隠棲の地

国師は中津絶海といい、臨済宗に属し、延元元年(1336年)土佐の生まれです。十三才で京都天竜寺に入り、西方寺の夢窓国師に師事し禅を修め、後に明国に渡り奥義を究め、帰国後は足利義満の師となりました。
非礼の将軍を叱責し、追放され銭原に草庵を作り、二年間隠棲しました。一時、四国にいましたが再び京に迎えられ、等持寺の主座を務め幕政に参加しました。応永二年(1405年)入寂、70歳でした。隠棲の地に今も自然石の石風呂があり、当時の漢詩多数を残しています。漢詩の大家でもありました。この地に碑が建てられています。

願証寺跡の五輪塔(銭原)

願証寺跡の五輪塔

願証寺は銭原山と号し、天台宗下にあり毘沙門天を奉祀し、京都鞍馬寺に属して創建されました。毘沙門天は財産富貴の神として尊崇され、後に七福神の1つともなり、信貴山とともに栄えました。しかし、延宝年中(1673年)焼失して廃寺となっています。
この地に建てられた花崗岩製高さ1.2メートルの五輪塔は、延元元年7月刻印があります。近江文様と呼ばれる蓮華文様があり、地・水・火・風・空の自然の恵みを称えています。その傍らに同じく花崗岩の毘沙門天像も安置されていますが、仏法守護の幸運幸福の神です。

清阪峠の庚申さん(清阪)

清阪峠の庚申さん

清阪峠は昔の丹波街道の要衝にあり、摂津丹波の間の往来の峠の頂にありました。今の清阪街道は明治三十八年に開通したものです。
昔、近くに「首切り場」という刑場があり、極刑も執行されていました。罪人の家族、付添はここ止まりになっていました。この辺りに悪鬼悪魔の出没があって、通行人を脅かすという噂があり、庚申さんを石に刻み祀って安全を祈ったといいます。
庚申とは十干十二支の一つで、「かのえさる」正式名称は青面金剛と称し、帝釈天の使者として天より舞い下り、悪魔病魔を退治した故事によるものである。

権内遺功碑と深山水路(車作)

権内遺功碑と深山水路

畑中権内は宝暦三年(1753年)車作庄屋の家に生まれた。当時、村は水田の水は勿論、生活用水にも乏しく貧しいものでしたが、権内は音羽川を思い浮かべ、村民の協力を得て提灯測量を実施しました。その後高槻藩主永井直進に水路開削願を提出しましたが、不許可となり村民は手を引きました。単独での工事開始となりましたが、完成近くに捕らえられ服役しました。後に条件付きでの許可が下りました。
今なお、8ヘクタールの土地に延長7キロメートルの深山水路の水は奔流しており、大正八年に村民は氏神境内に遺功碑を建て、感謝祭を毎年実施しています。

清水寺廃寺と経塚(車作)

清水寺廃寺と経塚

清水寺は真言宗に属し、音羽山と称し京都清水寺の分院として、建久六年(1195年)に創建されました。本尊は十一面観音です。写経と縁結びの寺として繁昌しましたが、栄正年代に落雷のため焼失しました。経典は近くの凹地に移し難を免れています。
現在、その地を経塚と呼び、祠と碑が建っています。

忍頂寺と五輪塔(忍頂寺)

忍頂寺と五輪塔

忍頂寺は真言宗に属し、賀峰山と号し本尊は聖観音、僧三澄の創建です。
貞観二年(860年)清和天皇より忍頂寺の寺号を受け、永録年に信長より保護を受けましたが、高山右近により堂宇は焼かれ、その後衰退しました。当時の一坊舎寿命院がこれを継承し今日にいたっています。
五輪塔は元享元年(1321年)建立されました。花崗岩製で総高2.3メートル、「地・水・火・風・空」の自然の五大恩恵を表現しています。大阪府指定文化財。

八大竜王宮と宝池寺(忍頂寺)

八大竜王宮と宝池寺

宝亀年間(715~16年)畿内が大干ばつで、住民は飢餓で苦悩の時に、光仁天皇の御子開成皇子が来山して池を掘り、八大竜王(歓喜神外七柱)を召請して降雨を得たことにより、その後八大竜王宮を建てました。以降この山を竜王山と呼ぶようになりました。
宝池寺は融通念仏寺に属し、竜王山と号します。本尊は釈迦如来です。安永二年(1774年)大阪大念仏寺の僧辯応が来山し、寺を創建しました。隣接の八大竜王宮も管理祭祀して、毎年二月の節分には節分会を実施しています。

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