特集 ようこそ! 歴史ワンダーワールドへ
なつかしさを感じる山里がすごいパワースポットだったり、普段目にしているまちなかに歴史が隠されていたり……意外な発見が満載の茨木。今回はその一部をご紹介。 知っていると、いつものまちが違った風景に見えてきます。
問合先 歴史文化財課 電話 620-1686
キリシタンが残した美しき祈りの形
千提寺・下音羽 Sendaiji・Shimootowa
人々が願いをこめて守ってきた美術品の数々
ザビエルは茨木出身!? といっても本人ではなく、絵の話。実は教科書で目にする「聖フランシスコ・ザビエル像」は、ちょうど100年前に茨木で見つかりました。
ザビエルは初めて日本にキリスト教を広めた人物。当時から人々に知られており、この絵以外にも茨木で発見された「マリア十五玄義図」やメダイに描かれています。
ザビエルの努力もあって、16世紀ごろにはキリシタンが増えたものの、その後の徳川幕府によって厳しい取り締まりが行われ、キリシタンは隠れて信仰を続けなければならなくなりました。次第に弾圧が激しくなるなか、人々は恐怖に耐えながら必死に信仰を守ろうとしたのです。千提寺・下音羽周辺にもそういったキリシタンたちが隠れ住み、美しい遺物を長く伝えてきました。
実際の遺物からは制限を受けながらも、祈り続けた人々の切実な願いを感じることができます。
- 聖フランシスコ・ザビエル像(神戸市立博物館所蔵)(国重要文化財)
- 絵には燃えるハートが描かれているが、他のザビエルの絵には見られない特徴的なモチーフ。「神へのあつい信仰心」を象徴している
見比べると、表情や手元が違う!
マリア十五玄義図(原田家本)一部(京都大学総合博物館所蔵)
マリア十五玄義図(東家本)一部
メダイの中にもザビエルが!
- ロレータ聖母子像(市指定文化財)
- 聖母マリアと幼いキリストが描かれた「ロレータ聖母子像」は鋳造製。当時の色が今も鮮やかに残る。
- マリア十五玄義図(東家本)(府指定有形文化財)
- 聖母マリアとキリストの15のエピソードが周囲に配された「マリア十五玄義図」。ザビエルがいる。千提寺・下音羽では、そっくりな「マリア十五玄義図」が2枚発見されているが、一部描かれているモチーフが異なっているので、見比べるのもおすすめ
文化財資料館 学芸員 桑野 梓
教皇グレゴリオ14世が描かれているメダイが残っているのは世界的にも珍しいです!
- rosary 念珠(ロザリオ) 象牙と黒檀の豪華なつくり
medai メダイ(メダル) 教皇グレゴリオ14世(市指定文化財) - 現代ではアクセサリーとして知られるメダイやロザリオ。元々は神聖なもので祈りのアイテムとして使っていた
表紙のステンドグラスはココ!
キリシタン遺物史料館
隠れキリシタンの里として知られる千提寺地区に昭和62(1987)年開館。資料はもちろん、ステンドグラスや教会のような外観も見どころ
大字千提寺262
電話 649-3443
午前9時30分〜午後5時(火曜日、祝日の翌日休)
美しい自然が広がる、神秘の空間
竜王山付近 Ryuouzan
かつての天皇も認めた?千年以上つづくパワースポット
緑が豊かな市北部・通称いばきた。ただそこにたたずんで深呼吸するだけで、清らかな力に満たされるような感覚になります。
それもそのはず。いばきたにある竜王山は古代の朝廷も認めた霊山。平安時代には神岑山(かぶさん)とよばれ、比叡山や伊吹山などと並んで近畿7つの霊山「七高山」のひとつとしてあがめられていました。
山のふもとにある忍頂寺は清和天皇が名付けた由緒ある寺。古くは神岑山寺と呼ばれていて、全盛期には23もの小寺院が付属していました。しかし、その後は衰退し小寺院のひとつが今の忍頂寺となっています。
そのほかにも、神秘的な雰囲気をまとう巨石や巨木が各地に残っているいばきた。まだまだ不思議な場所が見つかりそうです。
- 忍頂寺
- 851年創建。織田信長が忍頂寺に宛てた「天下布武」の印が押された朱印状からは、当時この寺が大きな勢力を誇っていたことがわかる
- 朱印状とは大名などが書いた公的な文書のこと(市指定文化財)
- 大字忍頂寺258
文化財資料館 学芸員 青木 愛美
お寺は「にんちょうじ」ではなく「にんじょうじ」と呼ばれています
- 八大龍王宮(宝池寺)
- 干ばつが起きたときに竜神を迎えて雨ごいをした伝説が残る。今も清水が湧き出ている
- 大字忍頂寺304
More! 気になる歴史スポットがここにも!
「竜が住んでいる」ともいわれた竜王山。 周辺にはパワースポットとも呼べそうな場所が点在しています。
天正二年銘摩崖仏(市指定文化財)
戦国時代、生前供養を目的として岩に刻まれた仏さま。しかし誰が作ったのかは謎のまま
又地蔵の杉
杉の根本にある地蔵は安産を祈願して置いたとか。周辺は荘厳な雰囲気がただよう
銭原の石槽(府指定文化財)
絶海という僧がここに庵を作り隠れすごしたと伝わる。石槽はどのように使ったのか不明
瀧不動明王
滝に打たれる修行場として利用された。そばに不動明王が静かにたたずむ
車作の岩屋
30メートルほどの巨大な岩と岩の狭い空間を母親の産道に見立てて登る「胎内くぐり」をしていた修行場
山中は足場の悪い所も多くあります。 訪れる場合は必ず登山に適した服装と装備で
住宅地に眠っている古代の銅鐸工場
Higashinara 東奈良
あちこちにある銅鐸モチーフの謎
南茨木駅周辺のまちなかをよーく目を凝らして歩くと、銅鐸がひそんでいます。石碑、橋の装飾、公園のベンチ、小学校の校章まで……。
どうしてこんなに銅鐸推しなのかというと、この場所で近畿を代表する弥生時代の遺跡、東奈良遺跡が見つかったから。この遺跡では溶かした青銅を流しこんで銅鐸をつくる鋳型も発見され、注目されている場所なのです。
鋳型が見つかったことで、銅鐸がどのようにつくられたのか、ここでつくった同じ文様のものがどのように広まったのか、銅鐸の流通を調べる大きなヒントになりました。
文化財資料館で貴重な資料を見られるだけでなく、散歩しながら銅鐸探しができるまちはここだけ! お気に入りの銅鐸が見つかるかもしれません。
東奈良小学校の校章は銅鐸がモチーフ。校内の石碑やキャラクターもすべて銅鐸!
文化財資料館長 黒須 靖之
当時の人々にとって、金属音は大変珍しいもの。銅鐸はお祭りなどで使用され、音を鳴らして楽しんでいました。
よく見ると鋳型部分が黒い……何度も使ったのかも?
ほぼ完全な形で出土した貴重な銅鐸の鋳型。弥生時代を代表する遺物として海外にも出張したことが。豊岡市で見つかった気比3号銅鐸も鋳型と同じ文様が描かれており、東奈良遺跡でつくられたとわかる。東奈良遺跡の銅鐸は、遠く香川県でも出土している
doutaku hunting!
昭和46(1971)年、文化財資料館近くの小川水路で当時の小学生・中学生が土器を拾ったことで遺跡が発見。完全な形の銅鐸鋳型が見つかったことを記念して周辺にたくさんの銅鐸デザインがある
- 東奈良史跡公園
- 杉ヶ本橋
- 東奈良あやめ北児童遊園
- 奈良東公園
ここも見どころ! 古代から残る魅力スポット
まちなかに遺跡がたくさん残っています!
沢良宜 大化の改新を考えた?
かもしれない別荘
飛鳥時代、中臣鎌足の別荘「三嶋別業」が沢良宜にあったとされています。鎌足といえば、天智天皇の右腕として「大化の改新」を成し遂げた人物。鎌足は大化の改新前に自ら三嶋別業に退去したと言われているので、天下を揺るがす大胆な政治改革案は茨木でひらめいた……のかも?
太田 北摂随一のビッグサイズ古墳
畑が作られていたことも!
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)は現在、継体天皇陵ではないと有力視されています。しかし、古市古墳群の古墳とほぼ同じつくりになっており、いずれにしても当時の王権と強い繋がりがあったようです。ちなみに江戸時代ごろまでは出入り自由で、ここに田畑を作ったりしていたそう。
室山 お宝がざっくざく!
海外交流がわかる紫金山古墳
病院を建設した際に見つかった紫金山古墳。精巧な模様の入った貝輪(ブレスレット)や鏡など副葬品からは日本国内での交流だけでなく、4世紀ごろの朝鮮や東アジアとの関係もうかがえます。
文化財資料館
昭和59(1984)年にオープン。銅鐸の鋳型、土器、古墳の模型をはじめ古代~現代までの資料約700点を展示している
東奈良三丁目12-18
電話634-3433
午前9時~午後5時(火曜日、祝日の翌日休)