広報いばらき

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

葬式の名人

 オール茨木ロケで撮影された映画「葬式の名人」が、8月16日から全国に先駆け公開されます。前田敦子さん・高良健吾さん主演のこの映画の一風変わったタイトルは、川端康成の同名小説に由来しています。

 「葬式の名人」は、「文芸春秋」大正12年5月号に発表された短編作品です。主人公の「私」は22歳の大学生。早くに肉親を亡くし、休暇中は親戚の家に帰省するのが習わしになっていましたが、その年の夏休みは親戚に不幸が相次ぎ、立て続けに2件の葬式に参列することになります。その後、3件目の葬式が出るに及んで、従兄は「私」に代理で参列してくれるよう頼みます。「あんた、葬式の名人やさかい」と。2度の葬式で、作法にのっとり落ち着いて振る舞う「私」の姿に驚いた従兄の冗談交じりの一言でしたが、この言葉をきっかけに、「私」は自らの境遇と過去とを振り返ります。

 「親しい人々の葬式は私を悲しませた。そして父の遺した礼装は従兄の婚礼に一度慶びの日に私を飾っただけで数え切れない程の葬式の日に私を墓場に運んだ。遂に私を葬式の名人たらしめた」とあるように、「私」が「葬式の名人」となったのは、幼くして肉親を次々に亡くし、その葬儀に立ち合わなければならなかったからでした。実際に康成は、3歳までに両親を、15歳までに祖母・姉・祖父を相次いで失っています。

 二十歳そこそこで「葬式の名人」とならざるを得なかった生い立ちは、傍目にはこの上もない不幸に映ります。しかし、その過去を感傷にひたることなく淡々と振り返り、自己を見つめ直す視線を従兄たちとの軽妙な関西弁のやりとりのなかに溶け込ませる手際は鮮やかで、深い洞察と悲しみにあふれながら、そこはかとなくユーモアを感じさせる筆致は、盟友の横光利一に「短篇の名人」と言わしめた康成の面目躍如、と言ったところでしょうか。映画を見る前に、ぜひ一読をおすすめします。