広報いばらき

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

ハンセン病にふれた川端康成

 昭和9年(1934年)8月川端康成のもとに、ハンセン病によって療養所へと隔離された青年から手紙が届きます。ハンセン病は当時「らい病」と呼ばれ、感染の可能性は極めて低かったにもかかわらず、「遺伝病」や「おそろしい伝染病」という誤った認識による差別・偏見を受けていました。手紙には、「文学に一条の光りを見出し、今、起き上がろうとしているのです」と自身の執筆した小説を川端に見てもらいたいと記されていました。川端は作品を送るよう返事を出します。最初に送られてきた小説「間木老人」に感心した川端は、雑誌『文学界』への掲載に尽力します。ハンセン病作家となった青年の名前は北條民雄。続く「いのちの初夜」で、文学界賞受賞・芥川賞ノミネートという快挙を成し遂げましたが、昭和12年(1937年)に北條は肺結核のため23歳の若さで亡くなります。川端と北條の手紙のやりとりは、計90通にも及びました。

 北條の死後、療養所を訪れた川端は、そのときのことを描いた小説『寒風』を発表しました。その後も、沖縄で講演があった際にはハンセン病療養所に足を運び、療養所の機関誌の選評を行い、ハンセン病作家が本を出版するときには文章を寄せるなど、多岐にわたってハンセン病者たちと交流を持ち続けました。

 川端康成文学館では、川端康成生誕120年記念特別企画展として、ハンセン病者との交流という川端の知られざる一面に焦点をあて、その人間性・社会性に迫ります。川端と北條の書簡の他、北條民雄「癩院受胎(らいいんじゅたい)」の自筆原稿も展示いたしますので、ぜひお越しください(詳細はトピックスページ参照)。