広報いばらき

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

川端康成の目

 川端康成が1926年(大正15年)に刊行した初の創作集『感情装飾』の巻頭には、恋人との会話から祖父と茨木で暮らしていた幼少期のことを思い出す『日向』という小説が置かれています。主人公の「私」には人の顔を凝視してしまう癖があります。その癖に自己嫌悪を感じる「私」でしたが、海辺の宿で砂浜の日向を見ているうちに、幼い頃の記憶が呼び出されてきます。盲目の祖父の顔をずっと見ていた記憶から、自分の癖の理由に気がつく瞬間と、その癖を受け入れてくれる恋人との会話が重なる『日向』は幸福感に満ちた作品ですが、注意深く読んでみると、恋人の目線が一切入っていないことに気がつきます。「娘は袂を下ろして私の視線を受けようとする軽い努力の現われた表情をした」と恋人が「私」の視線を受け入れようとしたという描写が見られますが、恋人が「私」をどのように見ていたのかは描かれていません。『日向』では「私」が一方的に恋人を見ているのです。

 川端の代表作である『伊豆の踊子』はどうでしょうか。作品の冒頭で旅の道中で見かけた旅芸人の一行を追いかけて道連れになるまでは、学生が踊子を一方的に追いかけているように見えます。しかし、道連れになってからは「私が振り返って話しかけると、驚いたように微笑みながら立ち止って返事をする。踊子が話しかけた時に、追いつかせるつもりで待っていると、彼女はやはり足を停めてしまって、私が歩き出すまで歩かない」と学生が踊子の前を歩いており、踊子が学生を見るという位置関係にあります。ところが、ギョロっとした目が印象的な川端康成のイメージが影響したのか、伊豆の各地に設置された「伊豆の踊子」像では、踊子が前、学生が後ろに配置され、学生が一方的に踊子を見るという小説とは逆の位置関係になっています。

 川端康成文学館で開催中のテーマ展示「川端康成の恋」では、『日向』や『伊豆の踊子』だけでなく、初恋の人伊藤初代を岐阜に訪れ、婚約するまでを小説化した『篝火』、最後の連載小説となった未完の『たんぽぽ』など川端文学に描かれた恋を「見る」という視点から紹介しています。ぜひ、お越しください。