広報いばらき

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

映画「伊豆の踊子」

 川端康成の小説が原作となった映画はこれまでで41作にのぼります。川端文学の映画化は日本だけでなく、ドイツやフランスでもなされています。

 その中で、「伊豆の踊子」はこれまで全作品中最多の6回映画化されています。昭和8年(1933年)最初の映画化で踊子を演じたのは日本映画界の大スター田中絹代で、白黒サイレント(無声)でした。川端本人が「私が映画を平気な顔で楽しく見ていられたのは、映画が原作を非常に離れていたからである」と述べるほど原作から大きく改変されています。

 2回目は昭和29年(1954年)で踊子を演じたのは美空ひばり。子役から女優への転換点を迎えていた美空ひばりにとって重要な作品となりました。3回目の昭和35年(1960年)鰐淵晴子を挟んで、4回目は吉永小百合が主演した昭和38年(1963年)のものです。今でも踊子女優と言えば真っ先に吉永小百合の名があがるほど、強いインパクトを与えました。

 5回目は昭和42年(1967年)に内藤洋子が踊子を演じ、6回目が昭和49年(1974年)の山口百恵の映画デビュー作となります。多忙を極めていた山口百恵が映画のために確保できたのは約一週間。短期間で映画を完成させるために、監督の西河克己が取った方法は、伊豆でのロケを最小限の3日に留め、あとは主に東京の奥多摩の撮影所で撮影するというものでした。6回目の「伊豆の踊子」の大半は伊豆では撮られていないのです。

 6回という近代文学では類を見ないほど繰り返し映画化された「伊豆の踊子」は、茨木を離れて旧制第一高等学校生となった川端の伊豆の旅がもととなっています。川端がこの旅に出たのは大正7年(1918年)、今年でちょうど100年を迎えます。ローズWAMで10月18日に美空ひばり版、10月25日に吉永小百合版の映画「伊豆の踊子」を上映しますので、ぜひお越しください。