広報いばらき

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

川端康成と岡本太郎

 1970年の日本万国博覧会に、康成は2回足を運んでいます。万博の公式記録映画「日本万国博」には、開会式に出席する康成の姿が映り込んでいます。

 万博のシンボル「太陽の塔」を設計した岡本太郎と康成の間には、深い親交がありました。二人の縁は太郎の両親と康成の関係にまで遡ります。太郎の父の岡本一平は漫画家、母のかの子は歌人で小説家であり、康成は東京帝国大学の学生時代から岡本家に通っていました。そんな康成を見ていた太郎は、父母に向かって2、3時間も熱っぽく語り続ける姿について、「ひどく生真面目な雰囲気だった」と回想しています。

 戦後に帰国するも、家が焼失していた太郎は、康成の家に1か月ほど居候することになります。太郎の居候中に、引っ越しを思い立った康成は、秀子夫人、太郎と三人で鎌倉の町を歩いて家探しをしたそうです。

 康成と太郎が最後に会ったのは、康成が亡くなる2か月ほど前のパーティーでのことでした。かの子の全集に寄せる文章を康成に依頼していた太郎は、「お忙しいでしょうから、口述でも」と、口述筆記を勧めましたが、康成は「いや、私が書きます」ときっぱり答えたそうです。太郎にとって、康成は最後まで「ひどく生真面目な雰囲気」の人だったと言えるでしょう。

 6月は川端康成の生誕月。川端康成文学館では、恒例の生誕月記念企画展として「川端康成と岡本太郎と万博と」を開催します。ミニチュア太陽の塔をはじめとする太郎の作品を展示するほか、康成と一平・かの子・太郎の世代を越えた交流、万博当時の茨木の様子を紹介します。

川端康成生誕月記念企画展

「川端康成と岡本太郎と万博と」 市制施行70周年関連イベント

とき、6月1日(金曜日)〜30日(土曜日)(火曜日休み)、午前9時〜午後5時、ところ、同館