広報いばらき

暮らしのガイド

定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。費用の記載がない場合は参加無料。

まちづくり

悪質業者にご注意ください

 「下水道管がつまっている」「汚水ますを清掃する」と各家庭を訪問し、強引に清掃や修理を行って高い代金を請求する悪質業者がいます。また、「市から業務を受けている」と偽って信用させる手口もあります。不審に思った場合はご相談ください。問合先、下水道施設課 電話620-1667

ごみのないきれいな水路の保全に努めましょう

 水路に流れるごみは、環境を悪化させるばかりではなく、水の流れを妨げて大雨の時に水路があふれるなど大変危険です。普段から水路にごみが入らないように心掛けましょう。問合先、下水道施設課 電話620-1667

水路橋は正しく利用しましょう

 水路橋は生活上必要な出入り口に利用するものであり、駐車場、駐輪場、物置、花壇の設置等の目的で利用することは禁止されています。占用者は許可時の条件を守り正しく利用してください。問合先、下水道施設課 電話620-1667

台風の時期は下水ますの点検・掃除を

 家庭の排水や雨水を集める下水ますに髪の毛や落ち葉、泥などがたまっていたり、木の根が張ったりしていると、大雨のときに流れずにあふれる原因になります。これから台風など大雨が降ることが多くなる時期です。下水ますを点検し、掃除しておきましょう。問合先、下水道施設課 電話620-1667

水道メーターの取替えにご協力を

 水道メーターは、検定に合格したものを使用し、有効期間は計量法で8年と定められています。水道部では、取替予定の家庭に「水道メーター取替のお知らせ」を事前配布し、有効期間内に取り替えています。メーター付近はいつも清潔にし、取替作業にご協力ください。問合先、同部営業課 電話620-1691

8月30日~9月5日は防災週間・建築物防災週間

 8月30日~9月5日は防災週間・建築物防災週間、9月1日は防災の日です。災害を防止し、被害を最小限に抑えるため、家庭や職場で話し合い、危険か所の点検、緊急時の連絡先の確認、非常持出品の点検、避難場所の確認など、この期間にできることを実践しましょう。また、建築物の所有者や管理者は維持管理と定期報告を徹底し、防災に努めましょう。市では、災害に備えるため、いざというときの行動をまとめた防災ハンドブックを作成し、危機管理課で配布しています。問合先、危機管理課 電話620-1617、建築物について=審査指導課 電話620-1661

大阪880万人訓練を実施

 東日本大震災を教訓として、いざという時にきちんと自分の身を守る行動ができるよう、府内全域で大阪880万人訓練を実施します。訓練を通じ、災害時の情報入手や行動を考える機会にしてください。

とき・内容、 9月5日(火曜日)、午前11時=屋外スピーカーによる放送、午前11時3分頃=府から・午前11時5分頃=市から市域の携帯電話(対応機種のみ)を対象としたエリアメール・緊急速報メールの一斉配信、備考、通話中か電源オフの状態でない限り、マナーモードでも着信音が鳴ります。問合先、府民お問合せセンター 電話06-6910-8001

放火にご用心

 市では「放火(疑い含む)」による火災件数が毎年上位となっています。全国でも毎年放火による火災が第1位です。放火による火災を防ぐために次のことに注意しましょう

問合先、予防課 電話622-6950

川端康成と茨木

日本人初のノーベル文学賞受賞作家で本市名誉市民である川端康成と茨木とのかかわりについて紹介します。問合先、川端康成文学館 電話625-5978

康成のふるさと

 康成が茨木で育ったことを知っている人は多いと思いますが、生まれたのは別のところだということはあまり知られていません。

 康成は明治32年(1899年)6月14日、川端栄吉とその妻ゲンの長男として、大阪市内で生まれました。栄吉は医師で、当時大阪天満宮の門前で開業しており、康成はそこで生まれました。しかし、康成にとって、この生誕の地は、ほとんど記憶にない「まぼろしのふるさと」でした。なぜなら、1歳7か月で父を、その1年後に母を亡くしたために、祖父母に引き取られ、川端家代々の地である宿久庄で暮らすようになったからです。康成にとってのふるさとは、3歳から旧制茨木中学校(現府立茨木高校)を卒業して上京する18歳までを過ごし、作家への夢を育んだ茨木だったのです。

 康成は早逝した両親について、「何一つ覚えていない」と語っていますが、川端康成文学館には、栄吉に関する資料が残されています。康成が生まれる前後に栄吉が母カネに送った明治32年6月14日付の手紙には「子ができそう」とあり、翌15日付のものには「(昨日)午后九時男子出産」と見えます(手紙は同館で常設展示)。

 これらの手紙は、昭和46年(1971年)に宿久庄の家の蔵から見つかりました。それまで康成は自らの誕生日を6月11日と思い込み、著作にもそう記していましたが、この手紙によって6月14日が正しいことを知り、「もう誕生祝いはすんだけど、もういっぺんできる」と言ったと伝えられています。