広報いばらき

文化財めぐり

問合先、文化財資料館 電話634-3433

Vol.117

茨木村絵図(茨木神社所蔵)

 茨木村絵図(116センチメートル×189センチメートル)は、天保14年(1843年)当時の茨木村を描いた地図です。茨木村は、茨木城の廃城後、在郷町(農村部で発達した商工業集落)として発展。「摂津名所図会」(寛政期1789年〜1801年刊行)では、茨木村は「嶋下郡都会の地也、交易の商人多し」と記され、摂津国嶋下郡(茨木市・吹田市・摂津市)の都会として、人や物の交流が盛んだったと言われています。

 茨木村は24の町に区画され、絵図には場所と町名が記されています。当時の領主は美濃国(岐阜県)加納藩の永井氏で、西部にある茨木神社の鳥居の横に領主の「触れ」を記した高札が設置され、領民はその内容をここで確認しました。

 現在と比較してこの絵図を見ると、茨木神社や梅林寺、茨木別院など寺院の位置は変わりませんが、中央の市街地以外は田畑が広がっていたことがわかります。茨木城があったと考えられている場所(現在の茨木小学校あたり)もこの当時は田畑でした。北部には墓地があり、ここは現在の斎場に位置します。さらに北部から東部にかけて流れる安威川と西部の茨木川(現在の元茨木川緑地)は、住民が田畑の取水に利用するなど人々の生活に重要な河川であったと考えられます。

 文化財資料館では、テーマ展「絵図で楽しむ茨木 江戸時代の村を巡る〜」(「特集2 10月・11月は教育文化月間」ページ参照)を、中央図書館では、それに関連したイベント(「特集2 10月・11月は教育文化月間」ページ参照)を開催します。ぜひお越しください。