広報いばらき

特集1 メダル獲得への道

リオ五輪で活躍した茨木ゆかりの選手たち

 リオデジャネイロオリンピックで、レスリング男子フリースタイル57キログラム級の樋口 黎さん(西陵中学校卒業)が銀メダルを、シンクロナイズドスイミングチームの吉田胡桃さん・中牧佳南さん(いずれも追手門学院大学卒業)が銅メダルを獲得しました。今回の特集では、メダリスト本人だけでなく、その周りの人にもインタビューを行い、メダリストの素顔に迫ります。

 問合先 まち魅力発信課 電話620-1602

レスリング男子フリースタイル57キログラム 級
樋口黎さん

市民体育館で大会も 茨木で過ごした中学時代

 初出場ながら、堂々の銀メダルを獲得した樋口 黎さん。次々と海外の強豪選手たちを倒し、世界の注目を浴びました。樋口さんは、4歳からレスリングを習い始め、中学1年生のときに本市へ引っ越してきました。

 樋口さんは中学時代、近所の和菓子屋に通い、桜餅やいちご大福をよく食べていたといいます。今でも、甘いものが大好きで、「減量中は我慢しますが、試合が終わればたくさん食べるぞと考えて、乗り切るモチベーションにしています」と話します。

 意外なことに、実は運動は苦手で、マラソンや100メートル走で最下位だったことも。しかしレスリングでは、相手の重心の位置を見極め、相手の次の手を読む能力が人より優れていました。また、地方大会が市民体育館で行われ、自宅から自転車で往復約40分かけて行ったことも懐かしい思い出です。

努力で勝ち取るレスリングのメダル

 中学校卒業後は、関東のレスリング名門高校へ進学しますが、高校1年生のとき、足首周辺を骨折する大けがをしました。「けがをしたのは仕方ない。今できることをやろう」という前向きな気持ちで、上半身を中心とした筋トレやリハビリに励み、競技に復帰後は、全国大会で活躍しました。

 レスリングの魅力は、「自分のように運動能力が高くなくても、努力次第で活躍できるところ」と語る樋口さん。

 東京オリンピックについて、「まだ足りない点を探し、それを克服して金メダルをとりたい。レスリングを皆さんに知ってもらい、より一層の応援をしてもらえるようにしたい」と意気込みを語りました。

中学1年時の担任 伊東武彦さん

 しっかりと相手の目を見て話ができ、先生に対する言葉遣いがきちんとできている子でした。また、彼は自分の考えを持っていて、それを表現することができました。彼の競技への姿勢は、勝ちにいくだけではなく、内容を突き詰め、深め、考えながら取り組むものだったと思います。負けた試合の翌日、険しい表情なので問いかけると、「自分の試合内容に納得がいかない」という返答でした。

 今回、銀メダルを獲得したときの表情も、あの時と同じように見えました。自分が求めている内容やレベルは、もっと上にあり、まだ伸びしろがあると考えているのではないでしょうか。そのことが、彼を成長させる原動力になっていると思います。

 彼のレスリングは、同級生や周囲の人、地域に、勇気や元気を与えてくれるので、頑張ってほしいですね。

西陵中学校の同級生 三輪万璃さん

 中学2年生で同じクラスになり、それ以来ずっと仲良くしています。中学生のときは、とても優しくて、私が悩みを抱えていたら声をかけてよく話を聞いてくれました。私がふざけていたずらをしても、怒ったところを見たことがありません。学校でレスリングの話はめったにせず、全国大会で活躍している話を聞いても初めは冗談のように感じていました。

 今回のオリンピックで銀メダルが決まったとき、もちろん私も嬉しかったし、中学時代の友人たちも、「クラスメイトとして、同じ中学校卒業生として、誇りに思う」とSNSに書き込んでいました。これからも、けがなく無理しないで頑張ってほしいし、4年後の東京オリンピックはぜひ会場へ応援に行きたいです。

両親(市内在住) 樋口 篤さん・容子さん

 世界の強豪選手たちの中で、緊張せずに、持てる力を発揮できたと思います。ひとつのことをやり続け、継続できることが大事であると思いますし、それができたからこそ、今回メダルがとれたのだと思います。(篤さん)

 私がレスリング教室を見つけてきたのですが、礼儀正しく、気配りを忘れず、先生や対戦相手を敬うこともあわせて教えてもらったので、レスリングを習わせて良かったと思います。よく続けていると思うし、今後も楽しくやってくれたらと思っています。(容子さん)

シンクロナイズドスイミングチーム
吉田胡桃さん・中牧佳南さん

多くの人に支えられた学業とシンクロの両立

 吉田胡桃さんと中牧佳南さんは、1歳違いの幼なじみ。小学生のときにシンクロナイズドスイミング(以下、シンクロ)を一緒に始め、ともに競技を続けて追手門学院大学に進学しました。志望理由は、日本代表選手の先輩だった巽 樹理さんが教員として在籍し、シンクロを続けるために理解のある学校だと聞いたからです。

 吉田さんは「学業とシンクロの両立には大変な努力が必要で、自分たちの力だけでは難しかったと思います」と当時を振り返ります。課題レポートを練習後の夜にホテルの部屋や移動中の飛行機で書くことも度々で、試合や海外遠征でどうしても登校できない時は、大学の教職員に相談し、必要な手続きを巽さんや親に頼んだり、大学からの連絡を同級生が伝えてくれたりしました。

 「シンクロから教わることは多く、体力的・精神的にしんどいけれど、学業にそれを生かすようにしました」と吉田さん。中牧さんは「シンクロは好きでやっているので、学業ができないことをシンクロのせいにはしたくない。やるべきことはやりました」と振り返り、「大学にいて良かったと思うことは、いろいろな人と関われたことです。多くの人が、シンクロと学業の両立を支えてくれたし、応援もしてくれました」と話しました。

リオでかなったメダルへの思い

 吉田さんは、4年前のロンドンオリンピックに続き、二度目の出場。メダルをとれなかった前回の悔しい思いを胸に、今度こそメダルをという強い気持ちがありました。だからこそ、これまでの頑張りの集大成として力を出し切り、絶対に結果を出すと決心して臨んだといいます。初出場の中牧さんは、緊張はあったものの、多くの練習を積んできて、今まで積み重ねてきたことを全力で発揮する思いで臨みました。

 「厳しい練習で、辛く苦しいことばかりでしたが、それでもシンクロを続けたのは、メダルが欲しかったから。くじけそうになったときは、何のために厳しい練習を、そしてシンクロをしているのかを、自問します。メダルをとる喜びは何事にもかえがたいものです」と吉田さん。「厳しい練習を乗り越えるのは、ひとりだけではできなかったと思います。メダルへの気持ちを胸に、与えられた役割を果たせるよう励みました」と中牧さん。ふたりは「オリンピックの試合のときは、チームのみんなで心はひとつになっていたと思います」と口を揃えました。

メダルに託すシンクロの未来

 シンクロについて、吉田さんは「息が合った時は最高の演技ができます。演技の美しさやエンターテインメント性が注目される、複合的なスポーツとして観てほしいです。今回のメダルで、シンクロを始める子どもが増えて、競技人口が増えれば良いなと思います」と語ります。中牧さんは「応援してくれる人が多くなることが嬉しいし、私たちの力になります」と笑顔で付け加えました。

元シンクロ日本代表選手 追手門学院大学の恩師 巽 樹理さん

 ふたりが大学に入学した当初は、日本代表Bチームの選手でした。オリンピックや世界水泳に出場するには日本代表Aチームに選出されなければならず、私は学業と競技がしっかり両立できるよう裏方として支援をしてきました。そしてふたりの努力は実り、吉田さんは3年生のときと卒業後2年目に、中牧さんは卒業後1年目にオリンピックに出場。オリンピックまでの過程は苦心することも多く、次第に私への相談も増えてきました。

 リオオリンピックでは、念願のメダルを獲得し、日本シンクロ復活を象徴できる素晴らしい大会だったと思います。今後は、メダリストとしての自覚を持ち、次世代を担う子どもたちに、スポーツが持つ力やシンクロの良さなどを伝えてほしいと思います。

追手門学院大学4年生 シンクロクラブの後輩 田中 祐さん

 吉田さんと中牧さんとは、オリンピック日本代表の選考会合宿のとき、同じプールで同じメニューで練習しました。ふたりの先輩が日本代表に選ばれてからも、自分が練習しているプールの横で、代表選手たちの厳しく辛い練習を見てきました。あの練習を知っているからこそ、今回のオリンピックの演技を見て、涙が止まりませんでした。

 吉田さんと中牧さんからは、「支えてもらっている方や、お世話になっている方に感謝の気持ちをきちんと伝えることが大事だよ」と教わりました。おふたりは、技術面が秀でているだけでなく、強い意志を持って目標に向かって走り続け、競技人生をどのように送るかを考えられていて、大変尊敬しています。

パラリンピック出場おめでとうございます!

和田伸也さん(市内在住)
陸上競技(1500メートル、5000メートル、マラソン)

芦田 創さん(早稲田摂陵中・高等学校卒業)
陸上競技(走り幅跳び、4×100メートルリレー)