広報いばらき

市史編さん室だより

費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。

其ノ33

問合先、市史編さん室 電話622-2184

演随和尚と免囚青年

 犯罪や非行に走った人が罪を償い社会に戻ったときに立ち直りを支える更生保護という制度があります。この制度は明治21年(1888年)に静岡県で民間の慈善事業として始まったのを前身に発展しました。大正6年(1917年)には、府下に約11か所の民間の免囚(放免された囚人)保護施設がありました。

 市では朝日寺(清水)の寺村演随和尚が大正3年(1914年)に「仏教興生会」を設立し、免囚を引き取ったり家族に引き渡したりする免囚保護を始めました。大正6年の新聞記事に、この和尚の人柄を偲ばせるエピソードが掲載されていますので紹介します。

 この年のある日、演随和尚はスリで捕まった青年を引き取りに大阪監獄に向かいました。監獄の外に出たとたん免囚青年は「厚かましいですが何か食べさせてほしいな」と言うので、和尚はうどん屋へ連れて行き、2人前注文しました。すると、青年は言いにくそうに白飯を食べたいと向かいの店をさしました。そこで和尚は彼だけ飯屋に行かせることにし、お金を渡しました。青年は何度も頭を下げ店を飛び出して行き、残った和尚は2人分のうどんを食べながら、満腹になった青年がうれしそうに戻ってくるのを楽しみに待っていました。ところが青年はなかなか戻ってきません。和尚は何度もうどんをおかわりして青年を待ちましたが、すでに青年は遥か遠くまで逃走してしまっていたのでした。

 翌日、和尚のもとには、逃げた青年から拙い文字で書かれたお詫びの葉書が舞い込んでいたそうです。青年も和尚の気持ちを裏切ったことを後悔していたのかもしれませんね。

 この記事は史料集16「新聞にみる茨木の近代4」に掲載されています。

 ほかに明治12年(1879年)から昭和20年(1945年)までの記事を取り上げた「同1〜5」もありますので、興味のある人はご覧ください。