市史編さん室だより
費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。
其ノ32
問合先、市史編さん室 電話622-2184
高橋の道標
高橋交差点(大手町)の南西角に自然石に文字を刻んだ道標があります。そこには「右 茨木停車場 左大阪 距高麗橋元標 四里廿四丁拾間」と刻まれています。道標に従って右(西方向)へ進むとJR茨木駅へ、左(南方向)へ進むと高槻街道を通り宇野辺で亀岡街道に接続し、大阪に出ます。「距高麗橋元標 四里廿四丁拾間」は大阪までの距離を記しており、約18キロメートルにあたります。この高麗橋元標は、現在の大阪市中央区に西日本において距離を測る起点として、明治9年(1876年)に設置されたといいます。
高橋の道標がいつ設置されたのか、記録は見つかっていませんが、昭和4年(1929年)5月に高橋周辺を描いた茨木神社所蔵の油絵には、高橋の道標が現在の場所に描かれており、それ以前に設置されたことは分かっています。
大正8年(1919年)には、全国で道路の起点・終点や交差点を基準に距離を表示する道路元標を設置することと法律で定められ、翌年4月に施行されました。高橋の道標は道路の交差点に設置され、道路間の距離を表していることから、法律が施行された大正9年(1920年)以降に設置されたと想像されます。
大正から昭和をまたぐこの時期、陸上輸送の主力は鉄道でありながらも、道路元標などの整備が進められ、徐々にトラックやバスなど小口輸送を可能にする社会的条件が整い始めていました。