広報いばらき

文化財めぐり

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Vol.104 茨木城の搦手門と伝わる門

 茨木小学校のあたりに、かつて茨木城があったと考えられています。茨木城は、江戸幕府の二代将軍徳川秀忠が発令した「元和の一国一城令」によって、廃城となりました。その際、茨木城の搦手門は茨木神社の東門として移築されたと伝えられています。

 一般的に搦手門とは城の裏門のことで、正門である大手門と対をなしています。大手門は城の正面に位置し、頑強・堅固で立派な構えであるのに対し、搦手門は小型で狭く、目立たない仕様です。有事の際に、城主などがここから城外へ逃げられるようになっていたようです。茨木神社にある搦手門には、門扉や扉脇に縦格子があり、格子のすきまから矢や鉄砲などで迎撃できる構造となっています。

 現在この門は、神社を訪れる人の通り道として利用されています。次にくぐるときは、往時の茨木城に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。