市史編さん室だより
費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。
其ノ24
問合先、市史編さん室 電話622-2184
桂昌院と泉原村
昨年の夏の終わり、「母方の来歴を調べているのですが、泉原に西浦という家は今でもありますか」という1本の電話が市史編さん室にありました。
西浦家は、私塾を開いて庶民教育に功績があり、また京都の旅行案内「帝都帰遺」を著した西浦白源(1786〜1867)を輩出した家だと答えました。さらに、西浦家に徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院に関する古文書が残されていないかと聞かれ、全く思いもよらない質問で驚いていると、桂昌院が泉原にゆかりがあることを示す史料が、舞鶴市の糸井文庫にあることを教えられました。
糸井文庫には、宮津藩松平(本庄)家が江戸時代に家系を調べた時の記録が残されています。それによれば、本庄宗正が大坂城落城の後、親や妹とともに本庄家にゆかりのある丸川氏を頼り泉原村に隠れ住んでいたようです。その後、転々としますが、やがて宗正の娘は、「二条家の姫」が将軍家に嫁ぐのに従い江戸に下ります。この娘がのちの桂昌院です。
西浦家と本庄家の関係については、糸井文庫に「以前本庄家が調べていた丸川氏の資料について、必要でないなら寺に納めたいがどうか」という西浦白源からの手紙があったことからわかるように、泉原の有力者であった西浦家に本庄家が以前世話になった丸川氏のことをたずねたのだと思われます。
市史編さん室にはさまざまな問い合わせがあります。すぐに答えられるものもあれば、今回のように大変貴重な情報を得られることもあります。些細な情報でも、調べてみれば実は大発見だったということになるかもしれません。皆さんからの問い合わせや情報をお待ちしています。