本市のブランドメッセージ作成・展開やブランディングの必要性などについて ~ブランディングディレクター 小塚泰彦氏に聴く~

平成28年10月24日(月曜日)午後2時~午後3時

対談要旨

ブランディングディレクターの英国法人KOSMOS INTERNATIONAL LTD 代表取締役 小塚 泰彦さんに、本市が現在依頼しているブランドメッセージ等の作成やその展開方法、ブランディングの必要性などについて、これまでのご経験も踏まえてご意見、アドバイス等をお聞きしました。 

ブランディングディレクターの小塚康彦さんと茨木市長が椅子に腰掛け向き合っている様子

まとめ

  • 大きく変わる時代だからこそ「変わらない価値」が何であるかを見極める
  • 茨木の変わらない性質として、「個性が見えにくい」ことが挙げられる
  • 愛着や誇りを持てる言葉を策定できれば、長く市民とともにあり続ける言葉になる
  • まちづくりでは、広義のデザインだからこそできる領域が大きくある
  • 効くメッセージは「動詞型」と「名詞型」がある
  • これまでの自分の考えや枠を越えた瞬間、人は自ら動く
  • サイレントマジョリティの人たちが変われば、自ずとまちが変わっていく

対談内容

茨木のブランド、個性とは

椅子に腰掛けている、大塚副市長

副市長大塚:小塚さんが20数年前に茨木に通学されていたときと今を比べて、まちは変わっていますか。

小塚泰彦氏(以下「小塚氏」):高校卒業以来、約20年ぶりに改めて茨木のまちを歩きましたが、目に見えて大きな変化は少ないのかなという印象です。

副市長大塚:ずっと茨木にいると慣れてしまい、茨木の風土が何か、「変わったところ」が何か、がなかなか見えてきません。 

小塚氏:「変わったところ」が一見わかりづらいとしても、まちとしての変化はいろんなレベルで何かあるはずです。例えば、まちに住む人の少子高齢化などは変化として捉えやすい。「変化していないもの」を見据えながら何が変化なのかを多様な観点から見定めることが重要だと思います。

市長:小塚さんは、600人の市民の方々とワークショップをされましたが、得られたものを教えてもらえますか。

小塚氏:一次情報、市民の方々の生の声をお聞きできたことは、とても良かったと思っています。生の声を聞きながら、一方で、ずっと茨木に住まれている方が気づきづらいこととは何なのか、そういった関心を持ってワークショップに参加しました。ワークショップで貴重な一次情報を得る、そして、その方々が気づいていないことに目を向けようと観察していました。
今回たくさんの市民の方々と茨木についてお話をしましたが、茨木の性質として、「個性が見えにくい」ということは挙げられるかもしれません。多くの方々からそのようなお話を伺いました。たしかに、近隣の高槻市や吹田市とそれぞれ特徴を列挙しても際立った違いがあるようには見れない。

副市長大塚:都市計画マスタープランの最初に書いているのが、「人が育ち、人を育てるまち」なんです。学校もある、教育も、子育ても、高等教育機関も含めて、大学を頑張って立地できるようにしたのも、人育ての目線で取り組んできました。これからの社会では、人の力が絶対必要ですから、これからも人育てを大事にしたいなと個人的には思っています。

小塚氏:立命館大学大阪いばらきキャンパスが新しくできて、明らかに違うのは、常に若い人が毎年出入りし続けるという変化だと思います。その点は過去に北摂で取り組まれた千里ニュータウンのまちの作り方とは異なります。常に若さが循環することによる変化がある。一方、高齢化が進む中で「変わりたくない人」もいると想像します。若者による変化という活力と、変化したくないという心持ちや暮らしをどのようにケアし、より良く活かし合っていくか。「ジェロントロジー」という、「老年学」、「加齢学」と呼ばれていますが、加齢と共に起こりうる複合的な障害や病気を踏まえて、人生後半の生き方、クオリティオブライフを考えていく学問があります。私の住むロンドンにはその代表的な研究機関があります。例えば、茨木市では大きな変化を必ずしも求めていない主に高齢の住民の方々に対して、ジェロントロジーから学んで、クオリティオブライフを上げるような仕組みを若者が担い、それでギャップ間の交流を促すといったあり方も考えられるでしょう。茨木の新しい一つの個性になりうるかもしれないですね。

書類を両手で持ち、椅子に腰掛けている、河井副市長

副市長河井:まちに「個性がない」という場合、実は無意識ではわかっているけれども、あまり認めたくないもの、例えば、自分ではあまり価値を置いていない、面白くないと思っているものの存在が、無意識で認識していて、そういう場合に、「個性がない」として、無視してしまっていることもありうるのではないかと思います。実は茨木にも個性があるのではないかと思います。例えば、市域の7割以上が丘陵地帯で、山があります。そこから市街地と山の方では、文化の違い、地域差が生まれているように思います。昔、山のエリアに関わる仕事をしていたときに、「山言葉で言うてくれ。俺ら、わからへん。」と言われたことがあります。茨木の山のエリアは、亀岡に接していますので、北に行くほど京都文化に近いのかもしれません。また、他の例では、昔、小学生が商店街のリサーチに行って、「どうしてここでお店屋さんをやっているんですか。」と尋ねました。「君たちにいい物を届けたいからですよ。」といった答えが通常考えられそうなところですが、そこで小学生に何と言ったかというと、「いや、先祖からやってるから。」と答えた方がおられたそうです。中々に象徴的なできごとに感じるのですが、解釈や見方を変えることで、まちの個性が見えてこないかなと思っているところです。

市長:「個性がない」という話が出るのを逆手にとって、「個性がないのを売りにする」といった逆転の発想もあるのかもしれないですけど、それではもったいないです。仮に個性に乏しい土壌なのだとしたら、だからこそ、いろんなチャレンジをし、時代をとらえて変化を加えていきたいです。 

ブランドメッセージのあり方とは

小塚氏:人というのは、自分のことを自分ではよくわからないものだと、私は思っています。それは人に限らずまちにおいても企業においても、似たところがあります。私は、ブランディングを専門に仕事をしていますが、多くの場合、対象は企業です。また、企業そのものだけでなく、企業経営者の個人的なブランディングも行っています。優れた企業に優れた企業理念があるように、良い経営者には良い経営理念があって然るべきだと考えているからです。企業理念も経営者理念も、賞味期限でたとえると長期保管が可能です。企業としての、経営者としての「生きる軸」に相当するものなので、短期的に賞味期限が切れたりころころ変わってしまってはいけません。昔、白洲次郎はそういったことを「プリンシプル」と呼んでいましたが、「生きる軸」は、迷いが出たときに常に立ち戻る軸です。
経営者理念と企業理念で異なる点は、個人か組織か。対象が個人であれば、その一個人にとって「自分にはこの言葉しかない」というくらい強烈な呪文になります。しかし他の人がその同じ言葉を目にしても必ずしも同じようには思わない。公共性ではなく個別性が極めて高いということです。
市のブランドメッセージについても、近しい考え方ができるでしょう。ゆるキャラの影響も大きいかもしれませんが、市は企業に比べて、そのキャラクターに個別性が求められる傾向にあるように思います。そこで、ブランドメッセージとして公共性の高いオープンな表現にするのか、個別性が高いことで狭いけれど強く深く刺さるような表現にするのか。あるいはその中間や掛け算ができるのか。目的に応じてチューニングする必要がありますね。
仮に、個別性が高い表現の場合、高槻市や吹田市の方からすると、なんかいまいちピンとこない言葉になるかもしれませんが、茨木市に住んでいる人には、「この言葉があるから茨木市のこと、ほんとに好きになった。住み続けることに誇りを持てる」といった気持ちを促す作用は期待できます。そういう言葉を策定できれば、ずっと長い期間をもって、市民とともにあり続ける言葉になると思います。

ブランドメッセージのターゲット

小塚氏:ブランドメッセージの制作にあたって、まずは実際にまちに住んでいる方の声を聞くところからはじめることは、重要なプロセスの一つです。その一人として、市長のお考えもお聞きしたいです。茨木市のどのような未来を作りたいのかというビジョン、茨木市の未来像があってこそ「茨木市というブランド」のあり方を導いていくことができると考えています。

椅子に腰掛けている市長

市長:ターゲットという話から言えば、女性につきます。いかに女性にとって過ごしやすい、暮らしたいと思うまちになるかが鍵になると考えています。「来てもいいよ。」と思ってもらうためには、まちづくりの場面で、女性の意見をどううまくオーガナイズしていけるかが重要だと感じています。 
高齢化社会の面からは、いかに生きがい、やりがいを持ち続けていただけるか、ということも重要です。若者と壁なく接することができるような方が増えていって、まちのそこここで参画する。生涯現役でまちを作っていけば、まちに住んでいる実感も持ってもらえるような方向にしていかなければならないと思っています。
まちでの活動の面では、女性か否かを問わずたくさんの方に外に出てもらい、もう3歩ぐらいまちに踏み込んでもらえるようにと考えています。 

小塚氏:「ターゲットは女性につきる」というのは、簡潔で素敵で面白いですね。女性にとって暮らしたいと思えるまちにする。ハードウェアではなくソフトウェアが重要ですね。私は以前、京都大学医学部の社会健康医学についてのプロジェクトを担当したことがあったのですが、予防医療は医師の力だけでは成立しません。生活者が自ら踏み込んで自ら予防しないといけない。生活習慣病とは、その名のとおりライフスタイルに起因するものですから、医師たちも、医療従事者だけでできるものではないと分かっていらっしゃる。そこで、デザインの観点から協力して欲しいということでした。まちづくりでも同じように、これまでのまちづくりを担ってきた人だけではできない、広義のデザインだからこそできる領域が大きくあると感じています。

市長:今どきのまちづくりは、大都市はさておき、トップダウンで物事を進めていくという時代ではありません。市民一人ひとりにいかに主体性をもってプレイヤーとしてまちで活動してもらえるか、まちで幸せを感じてもらえるか、それこそがまちづくりです。これからは行政と市民の協働ではなく、市民主導のまちづくりです。

小塚氏:歴史的には、企業経営にしても、都市計画にしても、男性優位社会でした。
しかしながら、経済成長など多方面で限界が見えてきて、特に先進国においてはこれからより良く縮小・後退していくことの方策も盛んに提言されています。社会集団が後退していく姿をイメージしてもらいたいのですが、これまで先頭に立っていた男性たちが後退すると、その後ろ側にいた女性や高齢者などが、逆に、必然的に先頭に来るという見方ができます。その転換が私は面白いと思っています。縮小社会、成熟社会においては、女性がリードする姿はむしろ自然であるように感じられますし、高齢者がどうやって幸せに生きるかを、自分自身で主導する社会になると思い描くことができます。 

「名付ける」ということ

市長:少子高齢化の理由の一つに、結婚をしないことが挙げられます。女性の社会進出や地位向上もあいまって、従来の結婚観や家族観が通用しない時代に来ていると感じています。 

椅子に腰掛け、小塚氏(左側正面)と市長(右側手前に横向き)が対談している様子

小塚氏:そうですね。仮にですが、人がより幸せに生きていくために多様な意味でパートナーが必要なのだとすれば、「自分に必要なパートナーを見つけられるまち」といったアイデアが出てきてもいいですよね。ブランディングやデザインの観点では、名付けるという行為は大きな力があります。例えば、一昔前ですが、東京の白金に暮らす女性を名付けた「シロガネーゼ」、あるいはそもそも「パリジェンヌ」もそうですね。名付けることで、「自分もパリジェンヌになりたい。シロガネーゼになりたい。」という作用が働くことは確かです。もしかすると、茨木に住む女性たちをエンパワーメントするような「名付け」があるかもしれません。私が普段暮らしているイギリスでは、「カントリージェントルメン」と呼ばれる人々がいます。彼らは、主に貴族階級で、都市部に暮らさず、郊外よりももっと田舎に暮らしながら豊富な資産を持ち、ロンドンで有事があればいつでも駆けつけ、経済的にも、社会ネットワーク的にもあらゆることに貢献する、かっこいい存在であると認識されているそうです。先ほど話に出た白洲次郎は、日本人における「カントリージェントルメン」の先駆けだとも言われています。おそらくイギリスにおいては「カントリージェントルメン」という名付けによって、田舎に暮らす貴族階級の人々のある種の自信や良質なプライドになったのではないでしょうか。
あえてその喩えを踏襲すれば、大阪市と京都市のちょうど中間にある茨木市に暮らす女性は、「カントリージェントルメン」ならぬ、「カントリーレディース」なのかもしれません。「カントリーレディース」である茨木の女性たちの暮らしは、ここにあって、茨木の静かな暮らしを享受しながら、都市部にもいつでも出かけていく。彼女たち女性自身が、心豊かに幸せに、自信を持って生きることによって、その魅力に惹かれて男性も集まって良いかたちで出会いが育まれるということも想像できるでしょうね。 

椅子に腰掛け、小塚氏と市長が対談している様子

市長:名付けた者勝ちっていうことは、世の中に結構ありますね。シティプロモーションの広げ先についてですが、外に何かを発信するには、まだ早いように感じています。まず、中でどういうことを作っていくのかが大事で、そのためにも、まさにプロモート、人をプロモートして、人をどれだけ動かすか、動きたくなるようなブランドメッセージができたらいいと。
人ごとではなく、みんな自分ごと、自分の言葉に思えるようなものになればと。

小塚氏:先ほどの「名付け」の話の延長になりますが、メッセージとしては動詞よりも名詞のほうが効くという場合があります。動詞から受ける印象として、命令されているように感じるかもしれませんし、そのように動きたくないという反動的な作用も起こしかねません。名詞の場合は、その名詞をもとに、「じゃあ自分はどうしよう」という振る舞いを考える。自分ごととして、自分の動きに作用する効果が期待できます。当然、名付けられた名詞への反発も考えられるわけで、これはケースバイケースであって、どちらが良いとは言えないものですが。

ブランドメッセージの働き

市長:茨木市のシティプロモーション、ブランドメッセージ作成をお願いした背景には、たくさんの方々に、茨木市で、地域でもっと活動していただきたいという願いがあります。
「社会で生きていく」ということは、人と人の中で生きていくので、それなりに人との調整があって、負担がかかるときが多々あります。例えば、防災の観点などでは助け合いが欠かせません。そこに住んでいるだけで必要な負担を、住んでいる方々が、当たり前に思って、しかもそれが前向きに捉えられるような、そういう切り取り方でのブランドメッセージであってもありがたいです。行政側の勝手な理屈かもしれませんが。 

椅子に腰掛け、両手を胸の高さで広げたジェスチャーをしている小塚氏

小塚氏:人が前向きに自ら動くときというのは、これまでの自分の考えや枠を越えた瞬間です。「これまでこう考えてきたけど、こういう世界もあるんだ!」と気づいた瞬間、行動が変わる、暮らしが変わると、私は思っています。前向きな動きに乏しい方も、もしかしたら、その人の枠を越えた何かに気がつくことによって、もっと自分は幸せに生きることができるのかもしれないと感じる可能性はある。それを導く方法の一つがデザインであると考えています。言葉の定義の話になりますがデザインを「DE(デ)」と「SIGN(サイン)」に分けると、「SIGN(サイン)」は記号、そして「DE(デ)」は、depart(出発)、deliver(届ける)のように「外に向けて切り離す」という接頭辞です。例えば、コップであれば、水を飲むモノという記号から一旦切り離してみる。コップは花をさしたら花瓶にもなるし、固いコップで人を傷つける凶器にもなりうる。通常の記号から切り離すと多様な解釈ができるわけです。そして「DE(デ)」にはもう一つ、decline(下降する)、describe(描出する)のように「下に向かう」という接頭辞でもあります。あくまでも私見ですが、一旦発想を自由に解放させて、新しい解釈を得て、それから現実社会に新しい価値を実現させるというのが、デザインであると考えています。シティプロモーションでも、そこに住む人の考えを思い切って解放する。次に、まちのイベントやモノを作るといったポイントで、自由になった発想から新しいまちのあり方を実現する。
デザインという言葉をこのように捉えるだけでも発想はより自由に動き出します。

まちが変わるために

小塚氏:これからブランドメッセージを策定するに際して心強いのは、どんどん変えていっていいんじゃないかと、どんどんデザインを試していっていいんじゃないかと、そう市長が考えておられるところです。私としてはより柔軟に発想することができます。これまでの資産や風土を大事に守る一方で、今ある潜在的な可能性を見極めて、これから起こる変化をチャンスとして、市のイメージをどうデザインするか。とても楽しみです。 

椅子に腰掛け、小塚氏と市長が対談している様子

市長:本市には、行政やまちづくりに日頃あまり関心も期待も持たれていない層、選挙の投票にも行かれないような、いわゆるサイレントマジョリティと呼ばれる多数の方々がおられます。
そのような方々は、未来に対して、どんどん変わっていくことに対しては、非常に前向きな方が多いように感じています。ブランドメッセージが、そんな方々に届き、響くメッセージだったら、ありがたいです。

小塚氏:常々私が思っているのは、企業であっても、個人であっても、そしてまちであっても、月並みなことをご提案しても面白くないということです。語弊を恐れずに言えば、ありきたりな発想からはありきたりな成果しか出ない。サイレントマジョリティに届き、響くようなメッセージとは何か。このまちに住んでいる人、その中でも、サイレントマジョリティの人たちが変われば、自ずとまちが変わっていくかもしれない。チャレンジングなメッセージになりそうです。

市長:そうです。目標が高すぎるかもしれませんが。

小塚氏:むしろ私は日頃、そういうチャレンジを楽しんでいます。動かすべき対象を定め、メッセージを届け、響かせる。とても意義深いプロジェクトだと思います。

市長:全員が納得するようなものはあり得ない中で、挑戦していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

小塚:ありがとうございました。

小塚氏と市長がカメラに向かって立ち、両手で握手を交わしている様子