子育ていいとこくらべ部門

妻の優しさに幸せが倍に

夫34歳(筆者) 妻35歳 子8歳・2歳

私の仕事はサラリーマン。満員電車で出勤し帰りは終電近く。子どもは好き。オムツ交換は手慣れたもの。休日は近所の公園やスーパーに行くくらい。保育園の卒園が近づいた長男が文集用に生い立ちや将来を書くカードを持って帰ってきました。生まれてからを振り返り、長男に何になりたいか聞きました。答えは「パパみたいな仕事」予想外で驚き、嬉しかった。喜びを抑えながら理由を聞くと「パパのことが好きやから」気分はもう有頂天。

自己陶酔しながら床につき気付く。すごいのは自分ではなく妻だと。帰りが遅かったり、夫婦げんかして不満があったりしても、子どもの前ではいいパパでいさせてくれていた事。仕事頑張っていると教えてくれていた事。家事・育児・仕事に追われながら私への気配りまでしてくれていた事。だからパパみたいな仕事にと言ってくれた。その言葉で妻の優しさに気付きました。日常の中にある思いやりに感謝し、幸せな気分は数倍にもなっていました。

支え合って夫婦で子育て

妻37歳(筆者) 夫40歳 子7歳 5歳・3歳

息子がインフルエンザにかかった…今日から5 日間、保育園は出席停止。職場に欠勤の連絡をしなくては。でも、うちは子どもが3人。次々とうつったら、一体何日休むことになる?パート勤務とはいえ、連続欠勤は肩身が狭い。看病の間に、私自身にもうつるかも…。

仕事中の夫に「インフルエンザだったよ」とメールで報告すると「俺、明日と明後日なら仕事の都合つくと思う。それ以降も今から調整してみるよ」。私が仕事を休んで子どもを看病しなくては、と思い込んでいたのでびっくり。でも、夫は「正社員でもパートでも仕事は仕事。優劣は無いよ。都合がつく方が休もう。俺の子どもなんだ、俺も看病するよ」。夫が私の仕事を大切に考えてくれている事が、とてもとても嬉しかった。この人となら、3人の子育てと仕事の両立はできる!と、目の前がパァッと開けた出来事でした。

夢の向こうで見つけた幸せ

妻56歳(筆者)子28歳 26歳 24歳

私の子どもの頃の夢は「幼稚園の先生になる事」「背の高い人と結婚する事」「子どもは3人」そんな夢を全て叶える事ができました。結婚生活8年で2歳、4歳、6歳の子どもを残し、背の高い夫は病気で他界してしまいました。

一生懸命子育てし10年が経つと、今度は長女が夫と同じ病気になりました。違ったのは、骨髄が次男と一致した事です。「お姉ちゃんの命が助かるなら移植するで」。次男は骨髄移植のドナーになってくれました。この後長女はすっかり元気になったのです。それまでは家族の健康や幸せが当たり前と思って生きて来たことが、当たり前ではなかったのだと気づき、家族の絆が一層深くなりました。

夢の向こう側にこそ本当の幸せがありました。こんな家族、こんなに素敵ないい子どもたちは、夫がくれた私の宝物です。

子どもは宝 みんなで子育て

妻38歳(筆者) 夫30歳 子3歳

子連れで通勤電車の時間。息子のグズグズが始まった。「電車1回降りようかな?」焦る私。そこに60代後半のおじさんが「どうした~?」と息子に声を掛け、手を握ってあやしてくれた。嬉しい気持ちと安堵感から気づけば涙がポロポロ…すると30代の女性も話しかけてくれる。「お子さん何歳ですか?」。そしてかばんをゴソゴソ…。女性が食べようと買っていたであろう、パンを息子に差し出し「これ、おいしいよ~!お母さんも頑張ってね!」 と笑顔で電車を降りた女性。おじさんにもお礼を伝えると「いえいえ。おじんが話しかけて、坊っちゃんびっくりしただろうね。ごめんね。バイバ~イ!!」。

ふいてもふいても溢れでる涙。私の姿はどう映っていたかな。今日も1つ大事な事を学びました。

言葉のさじ加減

妻46歳(筆者)子10歳

「ママの言葉は、調味料だね」。夕飯の支度をしている私をのぞき込みながら娘が言いました。「どうしてそう思うの?」不思議に思い聞き返すと「だってママに怒られると心がしょっぱくなるし、ママに褒められると甘くなるから」。

言葉に詰まりました。幼い時期ほど親の言葉の影響力は大きい。忙しい毎日の中で、娘に対して必要以上にキツイ言い方や、いい加減な受け答えをしてなかったか…。なんだか、ハンバーグの具材に塩を入れるのがためらわれました。でも、塩は味に旨味と深みを出す。私はいつもより控えめに塩を入れ、娘に言いました。「今日のハンバーグは甘い煮込みハンバーグにしよ!」「やったぁー!」はしゃぐ娘を見ながら、明日から娘にかかる言葉のさじ加減を考え始めました。

サンタクロースへの手紙

夫40歳(筆者) 妻38歳 子8歳・4歳

私達は共働きをしています。長女は8歳、次女は4歳。妻は家事に加え、しっかりと子育てもしてくれています。ただ、私はいつも帰宅が遅く、娘達の寝顔を見るのが精一杯。その日々の中で、妻と心がすれ違うこともありました。

昨年、長女が自分に自信を失い、情緒不安定な時期がありました。私達は仕事も手につかず、様々手を尽くしました。結局、原因はわからないままでしたが、周りの方々にも助けられ、長女の心は少し安定しました。その「しこり」を残したまま、昨年のクリスマスイブに長女がサンタクロースへ宛てた手紙で私達は救われました。手紙には優しい字体でこのように書いてありました。「私の欲しいものは『幸せ』ですが、家族からもらったのでもう何もいりません」。私達こそ娘達からいつも「幸せ」をもらっています。私にとってこの家族は紛れもなく世界で1番大切な宝物です。

子育ては親育て

夫42歳(筆者) 妻37歳 子11歳・9歳・7歳・2歳

長女と次女が三女をお風呂に入れる。歌声、泣き声、笑い声が響き渡る。にぎやかなのは安心、安全の合図。二人の姉はもう一人の母。叱られて泣いている三女に、長女が両手を広げてギュッ。笑わせようと次女が変顔、長男も加わって慰める。その言葉、口調は妻と同じ。

悲しい事、辛い事は皆で割り算。長男の背中でお馬さんごっこ。乗って潰れて転がって。涎、鼻汁、ご飯粒、舞に舞って大騒ぎ。楽しい事、嬉しい事は掛け算に。三女が着ている服は長男からの四代目。色は薄くなれど継がれる度に想い出の輝きが増す。仕草口調は似ているが一人ひとりの個性が光る。それぞれの未来に思いを馳せると尽きない。ふとした行動に励まされ、勇気をもらう。子どもを育てているつもりだけれど、実は自分も育てられているとの言葉を実感する事4倍。苦楽共に皆で分け合って。冬の日の寝室。お互いを「湯たんぽ」と呼び合い固まって、狭い狭いと言いながら。明日も皆で一歩前進。

子どもの発想力にクスッ

妻43歳(筆者) 夫44歳 子20歳・17歳・14歳・12歳・11歳

「スポーツしてる人って、鎖骨が折れやすいらしいよ。」
「え!じゃ、うこつ は?」
「うこつ?何それ?」
「左骨(さこつ)の反対側の右骨(うこつ)」

このあと、家族は大爆笑に包まれます。わが子の思いもよらない発想をスマホに書き綴っています。子ども達が幼い頃に使っていた「がじゃいも(じゃがいも)」や「ヘッコポター(ヘリコプター)」という言葉たちも大切にアルバムに残してあります。日常の何気ない一コマで、とても幸せになれます。子ども達の発想は、テレビよりも笑えて、考えさせられます。子育ては、笑いと発見と驚きの連続。今日も「お母さん、カイロ(懐炉)に『レギュラー』ってかいてあるけど、『ハイオク』とか『軽油』もあるの?」という問いに「懐炉は『ビッグ』と『ミニ』よ」と答えながら、クスクス笑いが止まりません。

夫婦で子育て 深まる信頼

妻33歳(筆者) 夫30歳 子2歳・1歳

仕事ばかりしていた夫が「家族を大切にしたい」と、1年間の育休を取りました。「そんなに一緒にいて大丈夫?」と友達から心配されましたが、予想外に素晴らしい時間でした。毎日公園で遊びました。平日昼間に公園に頻出する夫はかなり不審がられていましたが、本人はどこ吹く風でした。

夫が週3日晩御飯づくりを担当。カレーと豚汁と肉じゃがの繰り返しでもおいしい。家事も育児もめきめき腕を上げ「第三次成長期きちゃった」というギャグで褒めてほしがりました。息子が初めて歩いた瞬間を一緒に目撃できました。子どもが駄々をこねたとき、もう一人を夫が見てくれる。時には叱ってくれる。私も子どもに優しくなれました

一番分かってほしい人が子育ての大変さや感動を分かち合ってくれる。それがこんなに嬉しいものだとは。これからお互い仕事に復帰します。今より大変になるけれど、必ず二人で相談し協力し合える。そんな確信、相手への信頼を育むことができました。

娘との散歩が楽しみ

夫39歳(筆者) 妻38歳 子1歳

「パパさん、おだいじに!」1歳の娘が、電話の向こうで言いました。私は病室の天井を見上げていました。過労がたたって救急車で運ばれ入院。毎日5分間の電話が、本当に楽しみでした。「だいじょうぶ? はやくかえってきてね!」娘が発する言葉のすべてが、心に深く染み入りました。

会社で自分の代わりはいても、娘にとって「パパ」は私だけ。そんな当たり前のことにやっと気が付きました。「パパ、働きすぎてごめんね。退院したら、いっぱい遊ぼうね」…私は娘と約束しました。退院後は、毎週土曜に父娘2人で散歩を楽しむようになりました。「今日は公園に行こうよ!」笑顔ではしゃぐ娘の手をしっかりと握りしめ、肌の温かさを心地よく感じる。娘と過ごす時間は、私にとって大切な時間となりました。これからも一番近くで娘の笑顔と成長を見守っていきたい。パパにとって娘はかけがえのない宝物なのだから。

赤ちゃん生まれてよかったね

妻33歳(筆者) 夫34歳 子3歳 3か月

第二子妊娠中に切迫早産を告げられ、自宅安静と入院で長い3か月間を過ごしました。流産を経験していた私には、いつ早産になりこのお腹の命を失うのかと思うと、とてつもなく長い日々でした。

そんな日々を乗り越え、無事に生まれた赤ちゃん。赤ちゃんをはじめて抱いた娘は目をキラキラさせて赤ちゃんを見つめながら「かわいいね」と一言。そして「ママ、赤ちゃん生まれてよかったね!」。3か月間、ママに抱っこもしてもらえず、お出かけもできず、たくさん我慢をして辛かったはずなのに、優しい娘の言葉に思わず笑顔で涙を流す私でした。

みんなよく頑張ったね

妻31歳(筆者) 義母62歳 子3歳

「お母さん、しばらくいないけど、おばあちゃんとこで暮らしてな。言うこと聞くんやで」。ぎゅっと抱きしめて息子と別れました。まだ幼稚園年少の息子。病院の待合室でした。お腹にいた子たちは7か月で、出産まで3か月もあります。一緒に来ていたおばあちゃんに連れられ息子は帰りました。出産までの3か月間は、安静にとのこと。横になったまま、窓からクリスマスのイルミネーション、初日の出を見ました。お腹の子たちのため仕方ない。お兄ちゃんには辛い思いをさせているだろう。初めて息子と離れて、愛おしく思いました。

予定通り無事にお産でき、退院して家に帰りました。息子から幼稚園で作った「おかあさん、ありがとう」のメダルをかけてもらい、「がんばったね」といってくれました。私も妹たちも頑張ったが、息子はよく頑張りました。退院まで一度だけお見舞いに来たが、あとはおばあちゃんのところでいい子にしていたのだから。

娘がつないだ絆

妻35歳(筆者) 夫34歳 義父63歳 義母58歳

娘が産まれ両家の家族が喜びと幸せで満ちあふれていました。近くに義理の両親が住んでいることもあり、毎日孫の顔を見に来てくれました。けれども一年が過ぎたころ、ささいなことでけんかし義理の父母とは疎遠になりました。やはり近くに住んでいるといい面もあれば悪い面もあります。育ってきた環境も違うし世代で感じることも違うのだと思います。あまりにも近くなり過ぎるとお互い嫌なところも見えてくるのだと思います。

けんかをして1カ月後、娘が夜中に急に呼吸ができなくなり救急病院に搬送されました。一命はとりとめましたが病院に着くまで死んじゃうんじゃないかと心配と恐怖心でボロボロ泣いてしまいました。それから義理の祖父母も駆けつけみんなで娘の無事を喜び合い、娘が元気でいてくれることだけで幸せなんだと気づかされました。娘の無邪気な笑顔が家族の絆をより深いものにしてくれました。

孫の涙にうるる

妻46歳(筆者) 長女24歳 孫4歳

私の娘(24歳)は、4歳の子どもを持つシングルマザー。子どもが6か月の時に離婚し、私も仕事の傍ら、週末に子どもを預かったりしながらフォローしています。今から2年前、娘からお願いされ3日間子どもを預かることに。3日間は初めてでしたが、私自身不安もなく楽しもうと思っていました。孫も最初は「ママは?」と聞いてきましたが、「お仕事やで」というと、何も言わずに公園や水族館に遊びに行きました。

3日後、娘が迎えに来たとき、孫は寝ていたのですが、いきなりがばっと起き、何も言わず娘にしがみつくなり大泣き。「あ~こんなに小さいのに必死で我慢していたんだ」と私も胸が熱くなり涙が出ました。もちろん娘も泣きながら子どもを抱きしめていました。それ以来、長期で預かることはありません。今や孫は「ママがいい」が口癖の異常なまでのマザコンに育っています(笑)。

変身ベルト

妻40歳(筆者) 夫46歳 子5歳

5歳になる息子は、ベルトを使って変身する番組が大好き。ある日、「僕、変身するよ!お父さんは変身できる?」と言われた夫。「お父さんも、お母さんも結婚してから変身したよ。お腹には大きいベルトもついてるよ。脂肪ベルトというんだけどね」結婚して15年。そろそろ変身解除しようよ、ね、お父さん。

私はハハ

妻32歳(筆者) 母56歳 子6歳・2歳

息子たちは私を「ハハ」と呼びます。ハハと呼ばれて6年、もうすっかり定着しました。なぜハハなのか?私は自分の母を「ママ」と呼んで大きくなりました。もちろん大きくなった今でも「ママ」と呼んでいます。出産してから自分は子どもに何て呼ばれるんだろう。ママ?それは実家の母とかぶっちゃう。お母さん?それはなんかくすぐったい。

そうこうしているうちに長男は実家の母を「ママ」と呼びました。どうしよう、早く決めなければ呼んでもらう名前がなくなっちゃう!そこで思い付いたのが「ハハ」だったのです。

そんなの変だよ。変わってるね。そんな事を言っていた大人も「ハハは?」。長男はもちろん、二歳の次男も「ハハー!」。長男のお友達も「ハハー!」。長男は外では「おかあさん」と呼び分けているようですが、それでもやっぱり家では「ハハー!」。ハハは私の第2の名前なのです。

プレゼントは「はやおきけん」

夫41歳(筆者) 妻36歳 子5歳

去年の誕生日。夕食後、ママと長女がハサミとマジックを手に、部屋の片隅でゴソゴソしている。しばらくすると、長女がボール紙で作った封筒を「パパにプレゼント!」と言って持ってきました。開けてみると、つたない字が書かれた名刺大の紙と、数字が書かれた丸い紙が何枚か入っています。“おてつだいけん”“かたたたきけん”“ぱーてぃーけん”“ピザたべにいくけん”“はやおきけん”

「ありがとう。この券使ったら、パパに書いてあることをしてくれるの?」
「せやで。お金も一緒に渡してやぁ」
「そうかぁ。“はやおきけん”は、使ったらみんな早起きして、保育園にお利口さんで行ってくれるんかな?」
「違うでぇ。日曜日にパパが早く起きる券やで。みんなで遠くにお出かけするときに私が使うねん」
「…」
“かたたたきけん”には何回かお世話になったが、“はやおきけん”の出番はまだ無い。そろそろ提案しなければ…。

子どもの成長に助けられ

妻60歳(筆者) 夫65歳 子31歳・29歳

30年前、長男誕生。1年後に仕事復帰したのですが、すぐに保育園から電話。発熱で迎えに来てほしいとのこと。彼は熱性のけいれんを起こすので、37℃で職場に連絡がありました。

仕事と子育ての両立の大変さを痛感した日々でした。それから2年7か月後に長女の誕生。二人目は慣れているから大丈夫。しかし、長女は産まれた時から重症のアトピー性皮膚炎でした。髪の毛の下は白く手足は冷たく一日中かゆがっていてとにかく寝ない。いいと言われることは何でも挑戦しました。漢方薬、マコモ、びわの葉の煎じた汁、馬の油など。そして、除去食。大豆卵小麦粉牛乳すべてだめでした。あわ、ひえが主食で肉はうさぎを選びました。6歳になり、次第に快方に向かいました。

その間、長女だけでなく私たちも同じ物を食べました。今、2人の子は元気に仕事を続けており、親としてすることはほぼ終了しました。子どもの成長に助けられた子育てエピソードです。

母の働く背中を見て

妻37歳(筆者) 夫35歳 子2歳

山での偶然の出会いがきっかけで結婚した私たち。子どもを授かり、今子育てに奮闘しています。登山が趣味で、アウトドアギアを作るのが趣味だった私は、いつしか自分のブランドを作るのが夢になっていました。子育てしながら仕事をするのは大変かもしれない。だけどやってみなければ分からないし、今やらないでいつやるの?と奮起し、産後4か月目にブランドを立ち上げました。

私が仕事をすることで子どもが寂しがるかもしれない。けれど親が楽しんで仕事に打ち込む姿から子どもが何かを学んでくれるかもしれない。打ち込めるものがある人生は素晴らしい。この経験を、背中を通して伝えることができたら嬉しいです。世の中的に、子育て中のママが生活のために働くことは受け入れられても、夢のために働くことは受け入れ難い雰囲気がありますが、そんなことに臆せず、いい子育てができるのだと、まだまだ道半ばですが伝えていきたいと思います。

毎日が新たな発見

妻30歳(筆者) 子2歳

2歳の娘は毎日、私をとても幸せで充実した気持ちにさせてくれます。一緒に居ると私にとって当たり前、普通のことでも娘にとっては初めての事や新鮮な事なので新しい気付きがたくさんあります。

「お月さまってバナナみたいだねー。きな粉ってお砂みたいー。蛍ってお星さまなの?」 固定観念がある故につまらない見方になっていた私の世界をグングン広げてくれ、今では毎日がとても新鮮で輝いて見えます。毎日寝る前にはママ大好きだよと伝えてくれる事からもこんなに愛されているんだと、私は毎日毎日娘に幸せにしてもらっています。親が与えることよりも子から親に与えてくれることの方が多いんだなぁと常々感じています 私にとって子どもと過ごす毎日が大切な時間です。

3つの宝物

妻35歳(筆者) 夫35歳 子5歳(双子)・3歳

大好きなお父さんとの間に、気付けば宝物が3つありました。今、お父さんとお母さんは、その宝物と一緒に成長しているところです。その宝物は、柔らかい言葉と温かい手とまるい笑顔で触れると、どんどん大きくなっていきます。見ているだけで、幸せすぎて涙が出てきます。生まれて初めて、「愛しい」という感情を知りました。ありがとう。

一緒に食べたらおいしさも倍

妻36歳(筆者) 夫36歳 子3歳・10か月

3歳と10か月の男の子二人の母です。やんちゃな二人相手に毎日嵐のように時間が過ぎていき、夜に寝かしつけているつもりが、私が一番に寝てしまっていることもしばしば。そのような日々の中、二人に隠れてこっそりお菓子を食べることが私の至福の時。ある日、いつものように子どもたちが機嫌よく遊んでいる時を見計らってこっそり楽しんでいたら、お兄ちゃんがひょっこり現れて、「あ、お口が動いてる。何を食べてるの?僕も食べたい!お母さん」。

あぁ、ついにばれた…と思ったけれど、満面の笑みでおいしそうに食べる顔を見たら、今まで一人で楽しんでごめんね、と申し訳ない気持ちになりました。そうだよね、おいしいものは一人で食べるより、一緒に食べた方が何倍もおいしいよね。それからはこっそりではなく、みんなで一緒においしい時間を過ごしています。

誕生日プレゼント

妻45歳(筆者) 夫45歳 子14歳・10歳 義母74歳

5年前、私は初めて子どもたちを置いて入院しました。激しいめまいで倒れ、救急車で運ばれたのです。当時9歳と5歳だった息子たちにとって、母親が自分たちの目の前で倒れ、突然いなくなったことは、どんなにショックだっただろう。当の私は自分の体がつらすぎて、子どもたちの事まで頭が回らないほどでした。

数日後、自分の病状が落ち着いてきて、子どもたちはどうしているのか心配になってきました。電話をしてみると、義母が東京から駆けつけ、面倒を見てくれているという。そんな中、子どもたちがお見舞いに来てくれました。ケーキ、人形、アクセサリーをすべて自分たちで作って来たという。自分でも忘れていたが、その日は私の40歳の誕生日。私が倒れてどんなに不安であっただろう。でも、毎日をきちんと過ごし、私の誕生日のことまで気に掛けてくれていました。子どもたちは私が思っている以上に成長していました。そのことが、忘れられない誕生日プレゼントになりました。

魔法の言葉でハッピーエンド

妻30歳(筆者) 子3歳 母53歳

「一日おりこうさんでした」私が幼い頃、毎晩母が優しく頭をなでてくれました。ベッドで一日をふり返る母との時間が大好きでした。

そんな私が2人目を授かり、お腹がだんだん大きくなり始めた時のことです。2歳の娘の心の中は複雑な感じでした。友だちにおもちゃを貸してあげられなくなったり、わざと嘘をついたりすることが増えました。そんな娘に苛立ち、口調が厳しくなることもありました。でも夜ベッドで「まだおもちゃ使いたかったんだね。今度は貸してあげられそう?」「うん!赤ちゃんが生まれたら抱っこできる?」「できるよ。おでかけもいっぱいしようね。」…妹が生まれて3か月。妹に歌を歌ってあげたり、オムツ替えを手伝ってくれたり、お姉ちゃんをがんばってくれています。これからもいろいろなドラマが待ち受けていると思います。でも「一日おりこうさんでした」で毎日ハッピーエンド! この魔法の言葉で子育てを楽しみたいです。

娘の言葉に励まされ

妻34歳(筆者) 子6歳・5歳・0歳

私には現在、3人の子どもがいます。3人目の子どもが生まれて2か月ぐらいの時でしょうか。一番上の子どもが6歳、2番目が5歳の時でした。3人の育児に毎日がとても忙しく、身体も精神も疲れ果てており、上の子ども2人に関わる時間が減っていました。イライラしている時には強くあたってしまったりもしていました。欲しくて授かった3人の子どもなのに、思い通りにいかずに気持ちが落ち込んでいました。

ある日、一番上の娘に「Rちゃん(3人目)が生まれて、ママ忙しくてゴメンね」と言うと、娘が「私こそゴメンね」と言い出しました。「私が赤ちゃん好きだから、神様がRちゃんをプレゼントしてくれたんだ。ママが忙しいのは私が悪いの」。この言葉にただただ涙があふれ、娘をギュっと抱きしめました。今もこの言葉を思い出し、育児に力が入ります。

オバチャンじゃなくて

妻34歳(筆者) 子3歳・1歳

最近、運動不足で体力は落ちているし、昔のように軽やかに走ったりできなくなったなぁ、何より太ったよなぁ…。隣を歩く娘は3歳、ベビーカーに座る息子は1歳。自宅までの少し急な坂道をちらっと見上げて、ふとそんなことを思いました。

そこで娘に「あーあ、ママはオバチャンになっちゃったから、体が重くてこの坂道でベビーカー押すんも大変やわ」と話しかけました。すると、いつもはじーっと考えてから話す娘が間髪入れずに「オバチャンじゃないわ!」。あら、オバチャンじゃなくてお姉さんよとでも言ってくれるのかしらと期待しつつ、更に「えー、でももう色んなとこブヨブヨやしさー」と言ってみると、「ママはオバチャンじゃなくておかあさんでしょ!」と。あぁ、そういうことね。あまりに娘が真剣でおかしくて、坂道を歩くベビーカーもいつもよりなんだか楽に感じました。

双子の育児に奮闘中

妻38歳(筆者) 夫38歳 子1歳(双子)

1歳になった双子は、夜寝る前に必ずひと暴れ!見た目も性格も違う兄と妹で、普段はおもちゃの取り合いもしますが、この時はきまって仲良し。ふすまでかくれんぼを始めたかと思えば、部屋の隅々までゴロゴロ転がったり、歌いながらダンスしたり、パパやママに乗りかかってきたり…2人が笑い合う姿に、今日も楽しく過ごせたのかなとうれしくなります。一通りはしゃぐと、ほぼ同時に眠る2人。毎晩、スヤスヤ眠るそのほっぺに、おやすみのキスをして、明日はどんな1日になるかなと思いを馳せる時、親になった幸せを感じ、心があたたかくなります。

双子の育児は毎日が驚きや笑いの連続、おばあちゃんにも助けてもらいながら、段々と夫婦でうまく助け合えるようになってきました。そして、初めて命をかけて守るものをもち、自身もずっと強くなれた気がします。これまでの人生で知りえなかった幸せを感じ、2人のために頑張ろうねと励まし合う今日この頃です。

縄跳び先生

妻40歳(筆者)

「じんくん。腕をくっつけて!」ピューーン。
遡る事1時間前、私は息子を叱責、いや、叱咤激励していた。「一回でいい。一回跳べるまで、家に帰られへんで!」少しでも“できない”と思うと、誤魔化し諦める癖。逆上がり、サッカー、キャッチボール。今回は、縄跳びだ。やり遂げる自信を持たせたい。家の前で大声を張り上げる私の声を聞いていたご近所のパパ、ママ、お姉ちゃん、同級生が集まり始める。「跳ぶ時、腕がこうなってるわ」「手首だけで回してみよう」全員でアドバイスしているうちに暗くなり、縄が見えなくなってきました。

ヒュンッ! 縄が風を切る。ヤッタ。跳べた!みんなでガッツポーズ。こうして息子は無事に家に帰る事ができたのであった。ここは、丘の上の住宅街。 共に喜び、見守り、分け隔てなく叱ることもあります。ここでは、みんなが家族だ。少し自信をつけた息子の縄跳びの音が今日も聞こえる。

特別審査員 奥野史子さん 講評

ニュースなどで子育てに関するネガティブな情報を見聞きするたびに、子育てが困難であると同時に、社会全体の子どもに対する理解や関心が薄れている危機感を感じています。結婚や出産、子育てのポジティブな情報はもっと発信されるべきですので、今回のエピソード募集企画は良い取り組みだと思います。

核家族や一人っ子が増え、若い世代が小さな子どもに接する機会が極端に減っている現状では、突然親になり想像していなかった現実の子育ての大変さに困り果てるのではないでしょうか。社会全体で子どもや若者を支える仕組みが必要だと感じています。

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