広報いばらき

市史編さん室だより

費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。

其ノ36

問合先、市史編さん室 電話622-2184

キリシタン類族帳

 江戸時代初期にキリスト教禁教令が出されてから、幕府の弾圧・迫害によりキリシタンの数は徐々に少なくなっていきました。それでも幕府はその子孫と四親等までの血族・縁者を「類族」として監視の対象とし、キリシタンでないことを証明する書類である宗旨人別帳(宗門改帳)のほかに、「キリシタン類族帳」を作成していました。

 また、京都町奉行所の役人の記録とされる「京都覚書」には、他国に移って何年過ぎようとも調査して類族帳に正しく記載すること、キリシタン類族が死去した場合は死体を塩詰めにしたうえで奉行所の指示を受けることなどが記されています。

 そんな中、元禄3年(1690年)の茨木村で、キリシタン類族にまつわる出来事がありました。領主永井家陣屋日誌に「摂州茨木村紺屋長兵衛は類族の者ゆえ、大坂町奉行所の帳面に記載されている。この者が10月20日に亡くなったので、奉行所宗旨役人へ届け出たうえ、死骸を取り置くよう申しつけた」と書かれています。キリシタン類族の男が亡くなったので、死体を保管し、奉行所へ出頭して指示を受けるように命令したのです。審議の結果、男の埋葬許可が下り、その息子は類族帳には載せず幕府の監視から外れることとなりました。

 その後も幕府の監視は続き、元禄時代から150年経った幕末の千提寺でも、村人の死去に際し、高槻藩から検視役人がやってきたといいます。その時は「皆恐れて色々御馳走して帰し、事なきを得た」(「綜合清溪村史」)ようです。