広報いばらき

特集 康成の足跡をたどる旅

 日本人初のノーベル文学賞受賞者であり、市の名誉市民である川端康成。彼は、幼少期から10代にかけての多感な時期を茨木で過ごしました。彼の面影は、まだまちのあちこちに残っています。さあ、康成の足跡をたどる“旅”に出かけましょう。

康成と茨木

ノーベル文学賞受賞作家・川端康成

 川端康成は、大正末期から昭和にかけて活躍した文豪です。昭和初期までに「伊豆の踊子」「雪国」などを発表し、作家として名を馳せるようになりました。戦後は、文化や伝統など、日本人が昔から大切にしてきた心を表した小説「山の音」や「千羽鶴」を執筆します。

 また、日本ペンクラブの会長、国際ペンクラブの副会長として、昭和32年(1957年)に東京と京都で国際ペンクラブ大会を開催し、世界中の小説家や詩人を招いて日本の文学を紹介しました。これをきっかけに、日本の小説が翻訳され、広く世界で読まれるようになりました。

 優れた作品の数々に加えてこれらの功績が認められ、昭和43年(1968年)、康成は日本人初のノーベル文学賞を受賞しました。

康成のふるさと茨木

 そんな優れた作家である康成が、幼いころに茨木に住んでいたことを皆さんはご存じでしょうか。

 康成は明治32年(1899年)に大阪市北区で生まれ、まもなく父母を結核で亡くし、3歳で宿久庄にある父方の祖父母に引き取られました。

 7歳になると、豊川尋常高等小学校(現在の豊川小学校)に入学します。その年に祖母が亡くなり、目の不自由な祖父と2人で暮らすようになりました。

 13歳で旧制茨木中学校(現在の茨木高校)に入学しますが、3年生のとき、祖父とも死別してしまいます。その後、宿久庄の家を離れ、18歳で卒業するまで、学校の敷地内にある寄宿舎で生活しました。

 中学卒業とともに上京し、旧制第一高等学校(現在の東京大学)に入学した康成は、作家として歩み出すのです。

 日本を代表する作家となり、ノーベル文学賞を受賞した康成。その業績をたたえ、昭和44年(1969年)に、市は名誉市民の称号を贈りました。偉大な作家を生んだことは、市の誇りです。

Column 康成の人柄が表れた謝辞

 当時住んでいた鎌倉から、故郷・茨木に招かれ、市役所で市名誉市民推挙式に臨んだ康成。そのときの康成からの謝辞には、接する人を魅了する康成の人柄がよく表れています。

 こういう名誉をお受けするのに伺わないのも大変失礼であると思って、ここに立っておりますが、これからもまだ仕事をしてまいりますが、必ずしも茨木市の名誉市民にふさわしいようなことを書くかどうかははなはだ疑問なんでございまして、その点も悪しからずご了承いただきたいと思います。(一部抜粋)

市内にある 康成ゆかりの地

 市内には、康成が過ごしたころの面影が感じられるゆかりの地が今でもたくさん残されています。祖父母と暮らした家のある「宿久庄エリア」と、旧制茨木中学校周辺の「市街地エリア」に分けて紹介します。皆さんの身近な場所が、この中にあるかもしれません。康成のいた時代に思いを馳せながら、まちを歩いてみてはいかがでしょうか。

宿久庄エリア

川端康成旧跡

 康成が祖父母と暮らした家があった場所に立つ石碑。昭和47年8月に建立。康成の作品の中には、祖父母の家の庭に関する描写がよく登場する。康成は毎日のように庭の木に登り、そこで本を読んでいた。また、庭には大きな石があり、康成はその石の上で昼寝をしたり、蝉の声を聞いたりして過ごした。

川端家墓地

 「骨拾い」「父母への手紙」に記された裏山。後年、康成は「川端家菩提塔」を建立した。

「骨拾い」に登場する「上の池」「下の池

 現在は道が途絶え、近づくことができない池。「谷には池が二つあった。下の池は銀を焼き熔かして湛えたように光っているのに、上の池はひっそり山陰を沈めて死のような緑が深い」(「骨拾い」より)

紫雲山極楽寺

 川端家の菩提寺。康成の祖父が書いた家系図があった。

八阪神社

 村の児童たちはここに集まってから、集団登校することになっていた。「毎日村の学童達が神社の前に集合して学校へ行くのが習わしで…」(「父母への手紙」より)

市街地エリア

堀書店

 康成が通いつめた書店の中で旧制茨木中学校に最も近い。今もほぼ同じ場所にある。当時の看板が扉の右側に掛かっている。

東本願寺茨木別院

 旧制茨木中学校で康成が英語を教わっていた倉崎先生の葬儀がここで行われ、康成も参列。一部始終を記した作品「師の棺を肩に」が大阪の雑誌に掲載された。

石丸写真館

 康成が在学中、旧制茨木中学校の行事や生徒の写真を撮影していた。「石丸から武術寒稽古全部出席者の撮影したのがくる」(大正5年2月15日の日記より)

藤田屋薬局

 「グーッグーッと藤田薬店の主人が自動車をかけらしてゆくよく仁丹の五十銭袋や美顔水を買うて借りといたのがそのままになってるのを思い出す」(大正5年2月19日の日記より)

虎谷書店

 中学時代の康成が通いつめた書店。つけで本を大量に購入している一方、本代の支払いに悩まされていた。現在建物は建て直され、事務所となっている。

周山堂

 康成が雑誌などの装丁を頼んでいた活版所。支払いが遅れ、寄宿舎まで集金に来られたこともあるという。

茨木神社

 「茨木の夏祭 太鼓が出る 行く少年少女の浴衣がはっきり浮かぶ」(大正5年7月13日の日記より)

高橋・茨木川の堤

 元茨木川にかかる最大の橋。康成は、スケッチや読書、散歩などをしていた。中学時代の日記や、「師の棺を肩に」で登場する。現在、川は緑地となっている。

文学のまち茨木を楽しもう

川端通りにある文学館

 康成ゆかりの地巡りの最後に訪れたいのが、川端康成文学館です。かつて川であったことと康成とにちなんで、元茨木川緑地の高橋の交差点から北を「川端通り」と言います。同館はその川端通りの西側にあり、昨年5月に開館30周年を迎えました。

 開館のきっかけは、中学生からの提言でした。康成がノーベル文学賞を受賞してから、市民の中に康成の業績を褒め称えようとする空気が高まっていました。そんな中、昭和52年(1977年)に行われた「市長と語る中学生のつどい」で、中学生から川端康成に関する文学館を作ってほしいという意見が出たのです。それを受けて、昭和60年(1985年)に同館が開館しました。

受け継がれていく精神

 市内には、康成の精神が脈々と受け継がれている場所があります。そのひとつは、康成の母校、茨木高校です。

 同校では、康成のノーベル文学賞受賞を記念し、校内に康成の書による文学碑を立てました。そこに刻まれている「以文会友」には、文学を含めた文化一般、あるいは道徳・倫理や美しい心をもって友人を作り、人が結ばれ合うという意味が込められています。

 同校では、この「以文会友」の精神が校風の中に残っています。

盛り上がりをみせる文学のまち

 茨木ゆかりの作家は、康成のほかにもいます。その中でも、富士正晴と宮本輝については、それぞれ市内に文学館があります。

 これらと川端康成文学館を合わせた3館が連携して、文学に親しむ人を増やし、まちを文学で盛り上げていこうという動きがあります。今後、文学のまちとしてこれらの文学館の取組みに期待が高まっています。

文学の息づかいを まちで感じて

 作家に親しみを感じる方法として、作品を読むほかに、ゆかりの地を訪ねることも挙げられます。作家や作品の登場人物が過ごした場面を想像しながらまちを歩くと、見慣れた風景も違って見えるかもしれません。そして文学館では、貴重な資料からその作家の人生を追体験できます。

 さあ、まちへ出かけてみましょう。ゆかりの地でしか味わえないものが、きっとあるはずです。

川端康成文学館

 常設展示と、年に数回、さまざまな視点から川端文学を紹介するテーマ展示を行っています。常設展示では、康成の著書や遺品、書簡、原稿や墨書など、ゆかりの品約400点を生い立ちにそって紹介。祖父母と暮らした家の模型もあり、作家として活躍した康成はもちろん、青春時代の康成についても触れることができます。

所在地

上中条二丁目11-25、 電話625-5978
午前9時〜午後5時(火曜日、祝日の翌日は休み)

川端康成文学館臨時休館
とき、2月1日(月曜日)〜9日(火曜日)

川端康成文学館テーマ展示「川端康成と少女小説」

とき、2月10日(水曜日)〜5月23日(月曜日)(火曜日、祝日の翌日は休み、ただし3月21日、5月4日・5日は開館)、ところ、川端康成文学館、内容、中原淳一表紙画による雑誌「ひまわり」をはじめ、康成の少女小説に関する原稿や初版本等を紹介

市立ギャラリー企画展「川端康成と茨木」

場所等の詳細は、イベントページ参照。

Interview 康成の精神を受け継ぐ茨木高校

茨木高校1年 速水 碧さん

 川端康成の母校で学べるというのはちょっぴり自慢です。茨木高校の校風は、質実剛健。康成の通っていたころからその風土があることを知って、康成と自分たちが同じ校風の中で過ごしていたんだと想像すると、感慨深いです。

 「以文会友」の文学碑は、校門の近くにあります。私たちも、学校生活を通して友達と一緒に、勉強や部活動を頑張っています。

宮本輝ミュージアム

 昭和53年に「螢川」で芥川賞を受賞した宮本輝は、関西大倉中学校・高等学校、追手門学院大学文学部の卒業生。同大学が舞台の作品「青が散る」の主人公は、宮本と同じく大学の一期生の設定です。

 常設展示として、宮本の愛用品や直筆原稿などを見ることができます。また、年に2回企画展を開催しています。

所在地

西安威二丁目1-15、追手門学院大学附属図書館内 電話641-9638(JR茨木駅・阪急茨木市駅から出るスクールバスの利用可)

平日=午前9時20分〜午後7時50分、土曜日=午前9時20分〜午後5時(開館短縮期間や休館日は、同図書館ホームページ参照)

企画展「宮本輝の名言集2」

とき、3月22日(火曜日)まで、内容、「螢川」「青が散る」等6作品の中から、心に響いたフレーズとその紹介文を来館者から募集。全32点を館内に垂れ幕として展示し、その作品もすぐに読めるスペースを設置。

富士正晴記念館

 徳島県に生まれた富士正晴は、昭和26年、38歳で安威に移り住みました。同人誌「VIKING」を創刊し、多くの作家を育てる一方、自身も詩、小説、評論、伝記、中国文学などの作家活動や、絵画、版画、書の制作で活躍しました。

 同館の常設展示では、直筆の原稿、絵画、版画などを見ることができます。また、「VIKING」の現物や、数多くの文学者との書簡も収蔵しています。

所在地

畑田町1-51、中央図書館内 電話627-7937

午前9時30分〜午後5時(第2月曜日〜第5月曜日は休み、ただし祝日は開館、月曜日が祝日の場合はその翌々日は休み)、2月1日から開館

特別講演会「筆にきいてんか 画遊人・富士正晴」

とき、2月20日(土曜日)、午後2時から、ところ、中央図書館2階多目的室、内容、富士の初期絵画を中心に解説(画家 林 哲夫さん)、申込、2月6日、午前9時30分から、電話または直接、中央図書館窓口 電話627-4129