広報いばらき

市史編さん室だより

費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。

其ノ31

地域を潤す泉 釜谷の甘泉

 明治20年(1887年)2月16日、耳原、安威、太田、宿久庄で天覧軍事演習が行われました(史料集7「新聞にみる茨木の近代Ⅰ」)。明治天皇は太田村と耳原村の2か所に設けられた天覧所で、この演習を視察しました。その時に、近くの泉の湧水を天皇に差し上げたところ、水は冷たく澄みきって甘く、天皇は大変喜んだといいます。これを記念して村人は、この泉をかつての地名にちなみ「釜谷の甘泉」と名付け、石碑を建てました。

 釜谷の甘泉は、もともとは旧五日市村と旧上野村の飲料水や農業用水として利用していたもので、古くは「涌き所」や「戸出」などと呼ばれていました。安政3年(1856年)の五日市村の古文書によれば、「先年の干ばつの時、戸出から大量の農業用水を汲み上げたため水脈が細り、上野村の井戸水が飲料水として使えなくなった。今後は両村ともこの戸出を汲み上げすぎないようにしよう」という申し合わせをしています。

 この泉は、上野町の住宅地の中にあって、今でも水がこんこんと湧き出ています。釜谷の甘泉は、現在も農業用水として用いられ、この地域を潤す貴重な泉として大切に守り続けられています。