広報いばらき

市史編さん室だより

費用の記載がない場合は参加無料。定員・申込などの記載がない場合は事前申込不要または当日直接会場へ。

其ノ29

私塾「南明堂」を開いた 行田義斎

 行田義斎は寛文8年(1668年)に、摂津国島下郡清水村(現清水)に生まれ、京都で医業を営むかたわら朱子学者の山崎闇斎に学びました。後年、家が火災にあい、妻の故郷の交野郡中宮村(現枚方市中宮東之町)に移り住みました。その中宮村で享保の頃(1716〜1735年)に、大地主の援助を受け、私塾「南明堂」を開きました。(出典:中島三佳「東海道枚方宿と淀川」)

 寺子屋が生活に必要な「読み書き、そろばん」を子どもに教える場所であったのに対して、私塾は漢学、蘭学、国学などの学問を通して人間力を養う私設の教育機関でした。教育面で重要な役割を果たし、代表的な私塾に、吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾などがあります。

 南明堂では漢学や暦法などを教えましたが、とくに和算(代数学や幾何学)の教授に優れ、その普及に努めました。4代にわたり続いた南明堂は明治5年(1872年)、新政府の学制公布でその歴史に幕を閉じます。しかし、多くの教え子たちが身につけた知識は、やがて明治の文明開化をささえ、近代日本の礎となりました。

 義斎の墓は枚方市中宮東之町の西方寺に今も残されています。また、清水村では義斎と同時期の寛文4年(1664年)に清水洞郁という絵師が生まれています。洞郁の活躍は本誌平成25年5月号の市史編さん室だより「故郷に錦を飾った絵師」で紹介しています。もしかしたらこの二人は子どもの頃に一緒に遊んでいたかも知れませんね。