広報いばらき

文化財めぐり

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Vol.105 戦国時代に姿を消した三宅城

 室町時代、現在の丑寅や蔵垣内のあたりに三宅城という城がありました。いつ築城されたかは定かではありませんが、城主とされる三宅氏が観応3年(1352年)に文献に登場することから、少なくともこの頃には三宅城が存在していたと考えられます。文献には「大手ノ木戸」「二ノ木戸」という表現が見られ、三宅城は本丸・二の丸を備えた構造であったと推測されています。

 三宅城が終焉を迎えたとされるのは戦国時代。三宅城の歴代城主も戦乱の波にのまれていきました。永禄4年(1561年)、当時の城主である三宅出羽守國村はその頃仕えていた摂津守護代の三好長慶を裏切り、相手方に加勢しますが、劣勢となり、三宅城を捨て堺へ逃亡したとされています。これ以降三宅城が文献に現れることはないため、この直後に廃城となったと考えられます。

 今では三宅城の痕跡は区画整理などで全く見ることができませんが、阪急南茨木駅〜摂津市駅間の線路脇や蔵垣内公園には三宅城の推定地を示す石碑があります。また、公園の近くには國村350年忌を記念して「三宅出羽守國村公碑」が建てられています。機会があればぜひ立ち寄ってみてください。