子どものころから、声が低めで、高い声はあまり出なかったんです。だからはじめは、音楽の授業が苦手でした。でも、当時の小学校の先生が「高い声が出なくもいい。好きなように歌ったらいい」と言ってくれて、自由に歌う楽しさを知りました。音楽が好きになりましたよ。子ども時代には、音楽はもちろん、スポーツをしたり、農繁期には家の手伝いをしたりと、のびのび過ごしていました。
高校生のころはダム建築士になりたかったんです。ただ理数科目が苦手で…。どうしようかと思っていたら、「声がいいから声楽をしたらどうか」と先生方から言われまして、それが歌手を目指したきっかけですね。東京藝術大学への進学を希望しましたが、ピアノは弾けないし、音符も読めないし、当時はとても大変でした。
大学への進学をめざしたときはもちろん、大学在学中、日本ではメジャーではないロシアの民謡を歌うこと、いろいろ悩みや苦悩、そして希望がありました。振り返ってみると、いい先生、いい友人、いい仲間に恵まれているんだなと思います。たくさんの人が励ましてくれて今の私がいます。これも少年時代に福井で学んだ“義理人情”によるものだと思います。
私が歌うとき、心にあるのは“福井の秋”です。寂しいけれど、どこか心地よい、ほっとするような情景がそこにあるんです。